« 2016年12月 | トップページ | 2017年3月 »

2017年2月

病弱教育の歴史

この4月に勤務先の病弱特別支援学校が再編されて校名も新しくなる節目を迎えるに当たり、病弱教育の歴史の一端を紹介する機会がありました。

「病弱教育は明治時代に三重県で始まったとする説があります。「三重県学事年報第九 明治二十二年」には、三重県尋常師範学校の生徒の約6割、70人余が脚気(かっけ)を発症して授業を続けることが困難になり、菰野の湯の山温泉付近に生徒を移してそこで授業を継続したという記録が残っています。興味深いのは、運搬が困難だった教材等を使う学習を省いて他の学習を進めたところ学習進度に偏りが生じたので挽回に努め、また、履修規則を変更したり授業時間を増やしたりして、さらに授業方法を改良したところ学業の進歩に「見るべきもの」があったということです。「病気が治ってから勉強しようね」ではなく、生徒をまとめて転地療養させただけでなく、学習内容を弾力的に扱って勉強を続けましょう、時には履修規則も変えましょうという思い切った対応がとられたわけです。当時の日本の国民の健康状態は決してよいものではなく、特別支援教育(障がい児教育)という枠組みではなく保健衛生の観点からこうした発想となったようですが、ここには現在の病弱教育にも通じる考え方や対応が含まれているように思います。」

やや意訳もありますが当時の配慮の趣旨に沿って現代語訳で要約したつもりです。実際のところはどうだったのかという疑問があります。昨年の夏の終わりに菰野の湯の山温泉付近を訪れて菰野町立図書館でも町史などの資料を当たりましたが手がかりはありませんでした。いつかまとまった時間ができたら現地調査をしたいと思っています。

病弱教育の歴史は国民の健康や保健衛生の状況の変遷とともに課題も対応も移り変わってきた経緯があります。変わってきたというより柔軟に対応してきたという方が実際のところだったと思います。健康は社会の状況によってあり様が変わってきます。指向する健康もちがってきます。もちろん心身にわたる健康という意味です。疾患構造の変化等をすべて社会状況と関連付けることはできませんが、病弱教育はそうした社会(家庭も含みます)の状況による心身の不調に困っているその時々の子どもたちを支えるスタンスを取り続けてきているものと考えています。この先もこのスタンスは受け継がれていくことと思っています。このことを忘れないためにも病弱教育の歴史を振り返って史実を明らかにすることは大切だと考えます。

| | コメント (0)
|

東京、京都、名古屋

先週末は東京、昨日は京都、今日は名古屋と、このところ移動距離だけは何様というくらいのスケジュールです。重なるときは重なるものですが、自分で動けば必ず出会いと学びがあることを実感しています。東京ではいつもながら仕事というより自分の勉強になっています。もっとも宿題をもらってくるので仕事は帰ってからですが。京都では訪問先で思いがけなく知人と出会って同じ志と知って驚きました。名古屋は音楽療法の勉強でこれも収穫多々有りでした。日頃パソコンとにらめっこしての仕事が多く、これがリア充かとしみじみと思いました。

京都は金曜日から前泊で行きました。ホテルはかつて学生の頃住んでいた界隈にあって、その周辺は卒業後も出張などで何度か訪れたことがあるので今回はとくに身近に感じました。京都駅の南の方で観光客が訪れることは少なく、いわゆる京都らしさは探さないとわからないのですが、私が住んでいたのはその地域の村長を務めていたという旧家の土蔵の2階で、そこだけは古都の趣きが詰まっていました。大きな門の脇の押戸から入ってよく手入れされた庭の敷石の上を歩いて土蔵に向かいます。私の部屋は京間2畳ほどの広さしかなく、天井は屋根に沿って傾斜していたので立って背を伸ばせるのは部屋の半分ほどでした。それでも居心地がよくて、下宿代も格安だったので助かりました。時には、電話に呼んでもらって母屋の玄関に入ると呉服屋が反物を何枚も広げて家人が品定めをしていた光景を見たことがありました。そうした暮らしと門の外の京都らしさの少ない町並みはミスマッチがあっていろいろ考えるところもありました。東京での仕事はあと1年半くらい続きますが、京都もこれからしばらく通うことになることと思います。自ら動けば出会いも学びもある。動けるときは動きたいと思っていますが、泳ぐのを止めたら呼吸ができなくなる鮫のような性なだけです。

| | コメント (0)
|

カーナビのマップ更新

カーナビの画面にマップ更新の期限が2月11日という表示が出るようになったので販売店に問い合わせたところネットからダウンロードして自分でできますとのこと。そういうものらしい。そうだったのかと取説を読んで専用ソフトのインストールやサービスへの登録が必要等々の手順がわかったのが一昨日でしたが時間がなくて取りかかったのは期限前日の昨夜遅くでした。作業は悪戦苦闘の連続で、登録するサービスの種類の選択や製品のシリアルナンバー入力時のハイフォン省略等々、わかりにくいことこの上なしで途中で呆れてしまいました。SDカードへの転送中にエラーが出てカードのリカバリを求められたときはもうダメかも知れないと悲壮な心持ちになりました。こうしたコンピュータの作業や動作は、しかし、うまくいくときはまるで何ごともなかったかのようにすんなりとスピーディーに進むもので、環境が整ったら膨大なデータも滞りなく転送できて更新が完了しました。「喉元過ぎれば熱さを忘れる」の如く、だから手順をすぐ忘れてしまうのは困ったものです。今朝、更新したSDカードをカーナビにセットすると道なき道の山中を走っていた中勢バイパスや新東名などの新しい道路もきちんと表示されてほっとしました。カーナビに表示されない高速道路を走っていると休憩の取り方など見通しがつきづらいことがあります。カーナビがなかった頃は首都高速や阪神高速もルートを道路地図で覚えてから出発したものです。カーナビに頼りっぱなしなので危機管理もいい加減になりました。しかし、更新期限の前日深夜、更新期限当日に作業完了とは自分らしいか・・・

今朝、NHKテレビで芥川賞を受賞した村田紗耶香氏のインタビュー番組がありました。朝の支度をしながらふと見るとインタビューの場所はコンビニの店内でした。コンビニでバイトしながら小説を書いて「コンビニ人間」で芥川賞を受賞した後もコンビニでのバイトを続けていると聞いたことがあります。サイン会の会場もコンビニだったとか。今日、所々耳に入った村田紗耶香氏の話は共感するところがありました。例えば、父や母が育ててくれていること、それはほんとはどういうことなんだろうと考えてしまったとのこと。読む時間は、たぶんしばらくないでしょう。

新幹線は米原付近の雪のため名古屋で25分遅れて発車しましたが東京には6分の遅延で到着しました。東京は雲一つない快晴でした。

| | コメント (0)
|

「忠臣蔵の恋~四十八人目の忠臣」の音楽

年末年始があっという間に過ぎて気づけば立春でした。学校は卒業式の歌の練習が始まりました。昨日の小学部低学年の音楽でも「旅立ちの日に」を練習していました。子どもたち5人の歌声に小声で応援をしました。音楽作りには王道があって「旅立ちの日に」はその最たる作品だと思っています。音がきちんと機能している、という考え方です。

NHK土曜時代劇「忠臣蔵の恋~四十八人目の忠臣」は年越しで続いていて、録画はしないものの放送時間に家にいるときはその音楽に聴き入っています。音楽は吉俣良です。音楽も物語も配役もすごくいい。ひときわ激しい歴史の一幕を淡々と描く。それゆえ登場人物の情念が一層深く、重々しく、しかし、静かに迫ってくる。史実だろうかと、そんな一抹のひっかかりはあるもののそれはそれとしてと自分に言い聞かせる。やはり吉俣良が音楽を担当していた大河ドラマ「篤姫」も脚色にまんまとはめられてしまい、そのことをブログに書いたら歴史研究家からとコメントをいただいて恐縮したことがありました。「忠臣蔵の恋~四十八人目の忠臣」はようやくサウンドトラック盤が発売となってiTunes Storeで買い求めました。「メインテーマ」の旋律を奏でるのはバイオリンの中音域です。そのふくよかなあたたかい音色がたまらなくいい。そして、よく聴けば旋律はどこまでもたゆとう終わりのない旅のような時の流れに誘う。白黒つけがたい、はっきりさせられない、戸惑い迷う心に寄り添う音楽といえるでしょう。完結を予感させ、そのとおりにきっちり終わりがある音楽ばかりが音楽療法の音楽ではないと思っています。目の前の完結よりも遠くを眺めるような場、空間も同じように大切なはずです。

NHKの朝の連続テレビ小説「べっぴんさん」の音楽も聴き入ってしまいます。担当は世武裕子、フランスで映画音楽を専門に学んだとか。控えめ、といういい方が相応しいと思うのですが、登場人物にそっと寄り添うような音楽は絶妙と思っています。浴びるように聴きたい音楽もたくさんあります。でも、こんな音楽をより身近に思うことも少なくありません。

週末は12月に続く出張で東京行です。雪の影響が気がかりです。

| | コメント (0)
|

« 2016年12月 | トップページ | 2017年3月 »