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2016年11月

「ラブ・シュープリーム~至高の愛~」

これまで時々聴いてきた八神純子の「思い出は美しすぎて」を久しぶりに聴きだしたら止まらなくなって“八神純子ワールド”で彷徨ってしまっています。アルバムはあと2枚、正確には3枚、計4枚を持っています。「思い出は美しすぎて」「八神純子 2CD BEST 1978~1983」「Lonely Girl」です。この中の「ラブ・シュープリーム~至高の愛~」の聴き比べも面白い。ひとつは「宇宙戦艦ヤマト」の主題歌となったバージョン、もうひとつは「Lonely Girl」収録のバージョンです。「宇宙戦艦ヤマト」バージョンは宮川泰の編曲で、彼の自在な編曲でアニメのイメージを彷彿とさせています。「Lonely Girl」バージョンは当時のニューミュージックというのか懐かしい音です。楽器の音そのものも懐かしい。そして、この2つのバージョンは歌詞がちがって印象を大きく変えています。「Lonely Girl」バージョンはおとなの男と女の物語、「宇宙戦艦ヤマト」バージョンはユニバーサルな愛のイメージのように思います。ところがこれがどちらもいいから面白い。どちらも彼女の歌、声の魅力を存分に伝えています。聴き込んでしまいます。歌は時として瞬時に大切なことを気づかせてくれるものです。「ラブ・シュープリーム」もそんな1曲です。

11月も今日まで、明日から12月となりました。今年もあと1月という方が月日の流れをより実感するでしょうか。私にとっては年度末への突入となります。風邪を引く間もないほどの密度の日々が始まります。10月に続く東京出張は土日の設定で助かりますが「ポコ・ア・ポコ」のお休みのわけでもあります。

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週末

今日は職場が参加する駅伝で走りました。会場は鈴鹿青少年センターで、近くの鈴鹿サーキットからは遠吠えのようなバイクの走行音が聞こえていました。距離はわずか1,950mですが、これもわずかながらもアップダウンがあって、下りを慎重に走ると決めていたのにレースとなるとそのまま下り坂に突入してしまい、案の定、両膝の半月板を傷めてしまったようです。そもそもほとんど練習せずに走ること自体が無謀です。でも、足は重くて前に出なかったものの意外に走れるものだとわかりました。かといってマラソンを再び走るつもりはありません。やりたいのはロングトレイルです。ここ数年来ブームの百名山やトレッキングのテレビ番組を観てもなぜか山の頂上を目指そうとは思えないのです。

先週末は近くの園芸店がバックヤードのハウスで苗などの売り出しをしていてビオラばかり28本を調達、その日のうちに玄関前のポットに植えました。メインはお気に入りの黄色のビオラで16本、その他はパープル系にしました。あと、ポーチからのアプローチやブロック塀が苔などで黒ずんでいたので亀の子だわしで汚れを落としました。ほぼ1日かかりましたが見違えるほどになって年末の大掃除はしなくてもいいくらいになりました。こんなことは何でもないことなのに時間がなかったり気が進まなかったりで、スイッチが入らないとなかなかやり切れません。今回のスイッチは何だったのか、それがはっきりしない。

明日は年2回の三重子どものこころネットワークです。私も世話人のひとりなので運営に回ります。

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読書の秋に思う

今日は山間部の高校に出張でした。道中のよく手入れされた田畑や里山は曇り空の下でただただ静かでした。こんな冷たい晩秋の日もいいものだと思いました。

本を読む時間は限られていますが気になる本で絶版になっているものは押さえておきたいと買い求めます。ここのところとりわけ新潮社のクレストブックスがそうした本です。T.E.カーハート著、村松潔訳「パリ左岸のピアノ工房」(新潮クレスト・ブックス 2001)がそもそもの始まりでした。残念ながらこうした本は地方ではなかなか店頭でお目にかかるものではありません。手の届く価格のうちにと思うとますます本が増えます。

先月泊まった東京のホテルでは朝日新聞が無料サービスでした。その読書欄より(20161023朝日新聞朝刊読書欄「ひもとく 本で「つながる」翻訳家・文芸評論家 鴻巣友季子)

「今年は、『アウシュヴィッツの図書係』(アントニオ・G・イトゥルベ著、小原京子訳、集英社2376円)という翻訳書も出たが、人は極限状態でも、本を読む。言葉と想像力は人間の尊厳と生命力の礎だー 『戦地の図書館』は第2次世界大戦中、米国で発刊された「兵隊文庫」の活動を詳しく伝える。書物の威力を知っていたからこそナチスは1億冊もの本を焚書・発禁とし、米軍はそれを上回る1億2300万冊余の本をペーパーバックにして戦地に送り続けた。日本が贅沢を封じていた頃、米国兵はヘミングウェイやディケンズを読んでいたのかという感慨もさりながら、衝撃的なのは米国の選書方法だ。例えば『They Were Expendable(兵士は使い捨て)』という体験記が真っ先に「必須図書」に選ばれた。日本軍とのフィリピン戦で米兵が駒として消耗される現実を描く作品だ。「自分たちがなんのために戦っているのか知る権利が、兵士にはある」と軍も検閲に抗して主張した。(改行)知り考えることで、意味のない戦いを避け、平和の早い訪れを願う。こんな考えを現在の米国も世界中の国も持っていたなら、「聖戦」という幻のもとに無数の命と人間性が失われることもないだろう。しかもこんな選書は文字に対する信頼がなければできない。文学にふたたび力を、と願わずにもいられない。」

「人は極限状態でも、本を読む」の「極限状態」とは何も戦争や災害時に限ったものではなく、誰もが日常で出会るチュエーションでもあります。つらいとき、苦しいとき、出口が見つからないとき、追い込まれたとき、それはその人の極限状態と言えます。こんなとき、何かを決めたり行動するのではなく、ポーズ(一時停止)のボタンを押して本を開いて読むのです。すると自分を見つめる自分が現れます。自分を周りの状況とともに客観的にみることで大事なものは何かがわかってくるようになって冷静な判断ができるようになります。文学書を開いて活字を追う。写真集もいい。現実の厳しい状況は変わらなくても周囲の雑音に惑わされることなく前に進もうという気持ちになります。忙しいほど本を読みたくなるものだ。

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オープンダイアローグについて

オープンダイアローグについていくつか気になる情報があって斉藤環著「オープンダイアローグとは何か」(医学書院)やオープンダイアローグを特集した「現代思想」(青土社)を買い求めました。ハフィントンポストの保坂展人氏の記事も然り。また、森川すいめい著「その島のひとは、ひとの話をきかない 精神科医自殺希少地域を行く」(青土社)の最終章はオープンダイアローグについて書かれてあります。どれもがたいへん興味深い内容です。そして、それは精神科医療にとどまらず社会生活や学校教育の場においてもそのエッセンスが活用できるように思われ、実際、学校教育の場ではすでに行われてきているのではないかと思うのです。先月、沼津市で行われた聞き書きワークショップとも共通するエッセンスがあるように思っています。

オープンダイアローグの核となる考え方、仕組みについては、斉藤環著「オープンダイアローグとは何か」(医学書院)の書評で橋本久仁彦氏が端的に記しているように思います。「不確実性への耐性」「対話主義」そして「ポリフォニー」です。この3つの言葉、フレーズは、物事はそもそも予定調和的に1点に収束するものではないというメッセージを纏っています。私は「物事」という現実の事象を示す言葉を用いましたが、オープンダイアローグは人の心そのものを支える仕組みとして営まれるものであってなおさらのことです。気持ちが揺れるからこそ人と人との関係は進み、ときには決別などの形に進む。しかし、そこで止まるのではない。また動き、進む。何か固定されたものがあるかのように思えるのは人の心が動かないからではないのでしょうか。こうして書き進めると至極当たり前のことのように思えるからまた面白いし、そもそもそんなものだと思えることが大事ではないかということになります。岡檀氏と森川すいめい氏の「自殺希少地域」についての著書2冊はそのことを明らかにしています。

思い浮かぶ映画の台詞があります。ジブリの映画「紅の豚」で、真っ赤な飛行艇で戻ってきたポルコを仰ぎ見ながらアメリカの飛行機乗りカーチスのプロポーズを断るジーナの台詞です。「ここではあなたのお国より、人生がもうちょっと複雑なの」

橋本氏の書評の見出しは「非構成的エンカウンターグループの豊かさ」であり、「構成的エンカウンターグループ」との対比がベースにあるといえるでしょう。その中に「あらかじめグループのねらいや目的を明確化し,アイスブレークやウォームアップ,出会いや気づきのワークなど多数の心理テクニックを用いて,決められた時間内に所定の効果をあげるやり方のほうが,学校や企業などでは歓迎される。」とあるように、現在の様々な場面で予め結果ありきの枠組みの中で物事を進めていこうとする傾向は多々見受けられます。しかし、そのことの限界がそこかしこで顕在化してきていることを認めざるを得ない状況になってきていると考えます。こうした状況下で底力を発揮し得るのは不確実性の中で対話しながら多様な考え方がありつつ物事を進めていくねばり強い取り組みではないでしょうか。必ず明日があると考えよう。

「Tomorrow is another day.」とはスカーレット・オハラがひとりきりになったラストシーンの台詞です。

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長くて短い一日

午前中は近鉄大阪線沿線の県立高校の創立100周年記念式典に出席した後、午後はこころの病気の子どもの教育の研究協議会に行ってきました。会場は大阪市立大学医学部で、まるで私のためにロケーションが組まれたみたいでした。

高校の創立100周年記念式典は細部にわたって周到に準備されたものの中でとりわけ私は“音”に感心してしまいました。式典前、この日のために編成されたOBらを含む吹奏楽は体育館後部のギャラリーに位置して体育館の空間に放たれた音が上から降り注ぐように演奏されてその効果は歴然としていました。また、アナウンスは特設のPAを介して凛とした声を体育館の隅々まで届けていました。生徒の司会も素晴らしかった。音のコントロール、設定でセレモニーのクオリティーは大きく左右されます。今日の“音”は見事というほどの作り込みと思いました。

午後のこころの病気の子どもの教育の研究協議会は学校からの報告ではなく、主催の国立特別支援教育総合研究所の研究報告と児童精神科医、心理士、大学教授らの助言とレクチャーでした。病弱教育をアカデミックの手法で紐解くたいへん興味深い内容でした。私自身が日頃よく遣っている言葉たちがある配列によって特別な意味と輝きを放つのを目の当たりにして驚き、自分の勉強不足を思い知らされました。また、ターミナル期の子どもたちの心理にアプローチする死生心理学についても知ることとなりました。医療的ケアの子どもが通常の学級で日常的に時間と空間をともにすることがその学級の子どもたちの支援的行動に顕著なプラスの影響を与えるが、医療的ケアの子どもが特別支援学級に在籍してもそのプラスの影響はないという報告も注目するべきものでした。こうしたベーシックな研究が積み重ねられることによって今後の教育のあり方が検討されることを期待し、自分もまたかかわっていきたいと思っています。

大阪市立大学医学部の4階の教室を出てものの数分で映画館に着きました。「君の名は」を観ました。時制の移動に戸惑うものの「私たちは、会えば絶対、すぐわかる」「私たちは何かを探して生きている」というフレーズは誰しも思い当たることがあるはず。宗教的な何かではなくピュアな感覚としてです。

今日は長くて短い一日でした。

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もの、モノ、mono

先月、東京の“町”を歩いていたときワイシャツのオーダーメイド専門店と思しき店がありました。店先に私でもオーダーできそうな値段が張り出してあってこれもありだなと思いました。というのは私のサイズはMとLの中間で、ものによって当たり外れがあっていつもチョイスに悩むからです。先日は老紳士然とした店員のアドバイスで首回りをやや大きめにしたところ胸囲や腹周り、そして腕周りまでもがごわごわして上着を着ると動きづらいほどでした。外れだったわけです。今日初めて着たワイシャツは同じ型を試着して購入したもので、前日着た大きめサイズの外れの感覚が生々しいだけにすごく動きやすく感じました。肩幅も腕周りもオーダーしたらこんな感じかなと思うほどのマッチングで自分の腕が軽くなってような気がします。しかも綿100%なので快適です。カフスボタンホールがあれば言うことなしですがこれがありません。

名刺のプリントが夏頃からぼやけた印象でどうも気になっていたことがあって、昨日、その原因がわかりました。名刺用紙がなくなったのでこの2日に調達に行きました。そのとき、同じパッケージで品番がちがう2種類が並んでいることに気づきました。よく見ると一方は「上質紙」、もう一方は「上質紙+薄層塗布」とあって1枚当たり10円ほど高めでした。もしやと思って「薄層塗布」をチョイスしたらこれが正解でした。夏前まで使っていた紙でした。印字は細めでくっきりとしていて色も鮮やかです。きりりとして端正です。心持ちもちがってきます。手持ちの名刺全部を入れ替えました。夏以降お渡しした名刺を全部交換したいくらいです。

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冬の予感

11月に入りました。今日は朝のうちに隣接の病院に救急車が3回来ていました。小児科救急の病院なので子どもの搬送だったことと思います。季節の変わり目はとくに重症心身障がいの子どもたちにとって厳しい時期です。すべての子どもたちの健やかな成長を願ってやみません。

朝の気象情報通り午後から天気が回復しましたが冬の空に変わってきました。北西の低い空にかかる灰色の冬の雲と冷たい風。雲が空に広がると陽光を遮って日食のように暗くなりました。鉄筋コンクリート造の建物の廊下はまるで夜のようでした。しんしん冷えるという言い方が相応しい湿気を含んだ冷たい空気が廊下の隅々まで広がっていました。決して明るいというイメージではない。でも、そんな冬のシーンもいいものだと思う。しばらくそうした籠もるような日が多くなります。そこに身を置き、この冬は何を考えるのだろうと思っています。帰路、今季初めて手袋をはめて運転をしました。

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