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2010年2月

ある小学校の校歌

朝から志摩半島の太平洋沿いに行っていたら津波警報が出て急いで帰ってきました。車を止めた海沿いの堤防は防潮扉で閉められます。私が車に戻ったときは他の車はほとんどが移動していました。海沿いの地域の津波に対する危機意識は高い。

午後は山間の小規模校の「お別れの集い」に行ってきました。私が初任のときに勤務した小学校です。早く着いたので当時手作りで設置したタイヤの遊具や教員住宅を見て回っていたら木造校舎の窓が開いて私を呼ぶ声がしました。「今日歌う校歌は先生が編曲した伴奏です」 えっ!? そんなことってあるのだろうか、いきなりだ・・・カウンターを喰らったようでした。私はいても立ってもいられなくなってそのときを待ちました。セレモニーの最後は校歌でした。聴けば、そうか、そうだったなと思い出しました。28年も前のことです。私の編曲、それは決して弾きやすいものではないのですが、それが28年もの間受け継がれてきたことに感謝と責任の重さを痛感しました。当時の音楽科担当に校歌の伴奏を新しく作っていいかと聞いて私の編曲がスタートしました。およそ校歌らしくない前奏や短調をここそこに使って多彩に仕上げました。ドラマが欲しかったのです。今日、閉校、お別れのときにこそふさわしい編曲だったのかも知れません。24歳のときの編曲ですが聴けば聴くほどその頃の自分を思い出してしまいます。

その頃、私は校歌の諸相を音楽の視点で探っていました。音楽的に整理がつきにくい校歌が多いように思っていました。5行の詩、3和音に終始する伴奏、楽曲のドラマのなさ等々を残念に思っていました。学生オーケストラで廣瀬量平作曲の京都府立東陵高等学校校歌を演奏してその豊かな音楽性に魅了されたことがきっかけで今も新鮮です。校歌は音楽的にも豊かで愛されるものでなければならないと思っています。当時、川を隔てた小学校の校歌は創立100周年記念で新しい校歌を作りました。男の子と女の子が別パートで歌い合い、ダイナミックなピアノ伴奏で大きなスケールの楽曲でした。私はせめて伴奏で彩りを添えたいと編曲することにしたのです。旋律を使わない前奏、短調や多彩な和声、ベースのクリシェ、流れるような情緒感等、歌の情感と合わせて初めて生きる伴奏です。「お別れの集い」ではおとなも大きな声で歌ってくれていたのでほんとにうれしく思いました。最後の入学式でたったひとりで入学した1年生の女の子が全身でリズムをとって歌ってくれていたのも感無量でした。ところで、編曲した私自身はその楽譜を持っていないのです。楽譜は捨てたことがないのできっとどこかに紛れ込ませているのでしょう。楽譜のコピーをゆずっていただけるようにお願いをしてきました。

今日は担任した子どもたちや地域の人たちと久しぶりに会うことができてたまらなくなつかしく思いました。コミュニティーにおける学校の存在は大きいとあらためて思いました。

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ショパンはお好き?

三重県身体障害者福祉施設協議会研修会でミュージック・ケアの研修がありました。講師は日本ミュージック・ケア協会認定指導者で私もとてもいい勉強の機会となりました。音楽をきちんと聴くこと、これは基本です。また、動作はもちろんのこと、「指先まで美しい」ことも大事だ。今日はポコ・ア・ポコに来ていただいているお子さんのお母さんもみえて、ポコ・ア・ポコで私が言わないながらもしようとしていることが講師の先生の説明でよく理解できたとのことでした。これはほんとにうれしいことでした。

音響は小型のPAを使いました。その澄んだやわらかい音はミュージック・ケアの音響にふさわしいものです。床に置かれたスピーカーはサイドバックが斜めになっているので約45度の角度で音が出ます。その音が上から降り注ぐように体育館に広がるのです。研修会の前に加古隆のピアノソロを流していて聴き入ってしまいました。

今日の朝日新聞朝刊の音楽展望は吉田秀和の「ショパンはお好き? ピアニストが自分映す大事な鏡」で、たいへん読み応えがありました。ピアノを弾く人なら誰もが一度は夢中になって弾くショパンですが、ショパンを弾き続けるピアニストはそういないように思います。でも、されどショパンです。ショパンに憑かれたように弾いた頃を思い出すかのように、ずっと後になって身近に感じるのがショパンならではなのかも知れません。思春期の音楽なのでしょうか。ショパンを弾くとピアニストの思春期の甘酸っぱさが伝わるようでもあります。私はあるときから可憐なショパンはあり得ないと思うようになりました。ジョルジュ・サンドがショパンの手を「鉄の指」と喩えたと知って意を得たりと思いました。「あんなに華奢にみえて強靭、真剣であって、しかも優雅な音楽はほかになかった」という新聞の一文はショパンの音楽の核心だと思います。でも、「もしショパンが生き返ってきて、この200年の間に数限りなくくりかえしひかれてきた『ショパンの音楽』にぶつかったら、『これ、ぼくの音楽?』と疑うことも少なくあるまいと思う。」と私も思います。吉田秀和は御年96歳、なんと瑞々しい文を書くのだろう! 高校時代からずっと読み続けてきた音楽の師匠です。

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フィギュアスケートの音楽

バンクーバーオリンピックのフィギュアスケートが終わりました。この種目は音楽を使うので私も少なからず関心があります。印象的な効果的な音楽の使い方もあればミスマッチと思えることもあって、それなりのプロセスを経ているはずなのにと思います。これはイメージの問題ですが、スケーターの持ち味とのミスマッチ感は演技そのもののイメージダウンにつながります。採点では音楽の解釈という項目があるとのこと。そもそもミスマッチだとするとスケーターは苦しい演技になります。くわしいことはわかりませんが音楽の専門性はもっと活用されるべきでしょう。また、会場にマッチする音響的特性の音源が用意されていないように思うこともあります。これはフィギュアスケートに限ったことではありません。ときには洪水のように思える音、音質は吟味されるべきです。

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2月の日曜日のポコ・ア・ポコ

2月の日曜日のポコ・ア・ポコは12家族の皆様に来ていただきました。初めてのご家族もみえましたが、日頃から地元の療育センターでミュージック・ケアを経験されているとのことですっとセッションに入ってみえました。私が療育センターのある市の福祉会館で音楽療法のセッションを始めたのが2002年ですから8年も前のことになります。先生方が入れ替わっても取り組みを継続されていることに心から敬意を表します。今日はにぎやかなセッションでしたが曲の終わりは見事に静を共有することができました。片づけのとき、今日は先にカーテンを閉めました。光はやわらかくなって広げたバルーンはいつになくやさしい色に見えました。

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ヨーロッパ・ピクニック計画

この番組は放送当時の1993年にVHSで録画しました。もう数え切れないくらい観ましたが何度も観たくなる番組です。YouTubeにはなぜか英語の字幕が付いたバージョンがアップされていて、mp4に変換するとなぜか英語の字幕がなくなってしまいますが、iPhoneに入れていつでも観ることができます。この番組は勇気を与えてくれます。9分割されている7つ目が圧巻です。ギムニッヒ城でのハンガリー首相ネーメトと西ドイツ首相コールとの会談は感動ものだが、ハンガリー外相ホルン・ジュラと東ドイツ外相オスカー・フィッシャーとの会談は戦慄を覚える。「ホルンは最後にフィッシャーに告げた」というナレーションに続く言葉は重い。「我々の決意が揺らぐことはない。あなた方が考えねばならないことはたったひとつ。何千もの国民が国を捨てる決意をするような、そんな国を作ったあなた方自身の罪の重さだ。」ハンガリーの内務次官パラギ・フィレンツが言うように「誰が考えても正義は我々の側にあった」のだ。社会的正義を貫くには大きなエネルギーを要するが、結果はその労以上になって返ってくるものだ。毎年、講義の最初にこの番組を必ず観せる大学教授もいるとのことです。ベルリンの壁の崩壊は負の遺産の清算でしたが、この番組を通して学ぶことは次世代に限りなく受け継がれるべきと思います。

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「シンドラーのリスト」の音楽

映画「シンドラーのリスト」の音楽はヴァイオリンが印象的です。それもそのはず、イツァーク・パールマンの演奏です。サントラ盤で聴き直しです。作曲はジョン・ウィリアムスです。変幻自在の曲作りです。ただただ美しい音楽は物語の悲劇性を浮き彫りにする。上下を繰り返すメロディーラインは終わりのない問いを表す。

音楽を聴いていると、ときにはそうして終わりのない問いを感じることがありますが、一方では、完結を意識することも少なくありません。それは身体の動作を伴うときです。自分が動作しなくても映像を伴う場合もあります。すっきりした完結感です。ミュージック・ケアはその最たるものですが、歌手の振りやテレビのCMは絶妙なマッチングがたくさんあります。

「自閉症は2階から見ても診断がつく」という話を聞いたことがあります。人の動作や佇まい、居方は内面を表すことが少なくないと思っています。身体の動きを見れば内面の成長がわかるということになります。竹内一郎著『人は見かけが9割』(新潮新書)という本がありますが、その「見かけ」とは単なる見かけではありません。人は姿を見せるだけでコミュニケーションが始まっているのです。アフォーダンスの概念はこのことの説明となるでしょう。だから身だしなみや立ち居振る舞いがとても大事なのです。

先週から堀正岳・佐々木正著『iPhone情報整理術』(技術評論社 2009)を拾い読みしてはなるほどとうなずき共感しています。この本はICTの先駆けを描きながらも単なるノウハウ本ではありません。あくまでも思考のツールとしてのテクノロジーの活用法に徹しているところが潔い。そして、モレスキンとの併用は読んでいてうれしくなります。アナログ人間のデジタル超活用法とでもいえるでしょう。iPhoneが目指したスタイルのひとつの完成形だと思います。取り上げられているEvernoteやScanSnap、オリンパスのラジオサーバーは図らずも私もチョイスしたツールです。行き着くところは似ているなぁと少なからずうれしく思った次第です。

昨日、アテンザの走行距離が177,777kmを超えました。この週末にタイヤのローテーションとオイル交換、室内の掃除をしました。タイヤのローテーションだけでハンドリングががらっと変わって真っ直ぐ走るだけでも五感が覚醒するようです。今のタイヤは空気圧2.6でほどよいダイレクト感があります。

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子どものメンタルヘルス

今夜、春からずっと探していた資料をやっと見つけてメディアに保存しました。国の省庁のホームページはわかりにくいことが多いのですが、情報量が膨大なことも致し方ない原因かと思えてきました。それだけ多くの事柄を扱っているということです。私が探していたのは思春期の精神疾患の早期介入についての厚生労働省の資料です。まさにピンポイントでした。厚生労働省と文部科学省との接点もまたピンポイントのように思います。学校現場では不可分ですが。

昨年3月に文部科学省は2冊の冊子を作成しました。『教職員のための子どもの健康観察の方法と問題への対応〜メンタルヘルスを中心として〜』『教師が知っておきたい子どもの自殺予防』です。どちらも今日的な状況に対応する内容です。

昨夜のNHK-TV「めざせ!会社の星」は「残業なしでハッピーワーク 北欧に学べ」の前編でした。1960年代から高福祉高負担の社会作りを始めたフィンランドの紹介で、個人と生活がいかに大切にされているかを伝える内容でした。当然ながら自律する個人が育っているのでしょう。

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クラウド事始め

クラウドは前々から魅力を感じていて本も読みましたが、見聞きしただけでは今ひとつ決めてがないことから無料サービスを試し始めることにしました。クラウドの必要性は膨らんだ資料を持ち歩けないから、そして、どこでもノートが文字通りいつでもどこでも同期していないとミスが出かねないようになってきたからです。まずはEvernoteです。「クラウドの一人勝ち」とのことですが、無料サービスだとOfficeのファイルはアップできないようで、また、月間40MBはすぐ限界になるでしょう。PDFファイルも1MBを超えるとiPhoneでは動作が遅くなりますがこれは仕方ないか…。

クラウドといえば、今日は低い雲が垂れこめた雨の一日でした。春先の色でした。ガラス窓をつたう雨水の道筋をいつまでも追っていた子どもの頃が思い出されました。

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打ち込み

週末はEXILEの「道」の三部合唱の移調とパート別演奏の録音をしようとFinale NotePad 2009で打ち込みをしてみました。見やすい楽譜にしたかったのですが、Finale NotePad 2009は小節の幅の変更ができなかったり一部の演奏記号が演奏に反映されなかったりして手書きに頼るところもあって、また、パート別演奏はXGWorksですることにしました。Finaleの演奏はソフト音源なのでMacだけでできるもののどこかもの足りない。ファイルを.midに変換してXGWorks4.0+MU500で演奏するとさすがはハード音源で力強い。パート別演奏はこちらでやりましょう。

NHKの「関口知宏のファースト・ジャパニーズ」で彼がMacで使っているソフトは何なのか、ネットでも話題になっていたようですがカスタマイズしている可能性もあると聞きました。あのすーっと抜けるピアノの音は何なのだろう。音楽の深淵が呼ぶ。

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『裸でも生きる』

山口絵里子著、サブタイトル「25歳女性起業家号泣戦記」のメッセージに富む1冊です。これは若い起業家のサクセスストーリーというより理念を貫く決意書というべきか。私には著者の小学校から中学校にかけてのエピソードが頭から離れない。いじめられた小学校時代、反抗を重ね、そして、柔道と出会った中学校時代、高校時代は柔道の全日本で7位になって、いざ進路というとき、小学校以来の学校に対する不満が社会を変えようとする方向に持ち前のパワーが発揮される。彼女を迎えた慶応義塾の懐の深さもまたすごい。マザーハウスのCEOは若くして社会に揺さぶりをかける起業家です。そのベクトルは大いに共感します。出会うべくして出会った1冊だと思う。

この本は、昨日、長崎で買い求めました。高校の修学旅行以来、実に35年ぶりの長崎は全国児童青年精神科医療施設協議会研修会(全児研)で訪れました。テーマは「統合失調症の発症」です。私は2日目と3日目の出席でしたが、13本の発表と職種別懇談会、地元の特別支援学校訪問と目まぐるしい日程でした。発表はほとんどが医療サイドで、若年での発症が多い統合失調症の最先端の知見に触れることができてたいへん成果の大きい2日間でした。同時に学校教育の強みをあらためて噛みしめました。こうした知見と教育の強みが子どもたちのSOSをキャッチする感性はもっと磨かれなければならないと思いました。学ぶことに貪欲たれ!

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