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2008年12月

一年の終わりに思うこと

広島と山口に旅行に行ってきました。広島は宮島と平和記念公園、山口は萩と秋吉台です。

広島を訪れるのは初めてで、広島平和記念資料館と原爆ドームは実際に行かないとそのメッセージを肌で感じることができないことがわかりました。平和記念資料館も公園も訪れる人が多くて、とりわけ若い人たちが多いことはたいへんいいことと思いました。また、外国人の姿も少なくありませんでした。日本は唯一の被爆国として世界に原爆と戦争の根絶を訴える使命を背負っていることを強く思いました。

萩では幕末から明治、昭和に至る激動の時代に国を動かす多くの人々を輩出した松下村塾について考えることが多くありました。吉田松陰が松下村塾で教えたのはわずか3年足らずでしたがその影響はたいへん大きなものだったわけです。松下村塾の説明では、塾生ひとりひとりに適切なテキストを選び、主体的に学ぶことを大事にしたとか。そして塾生が自らの志を確信し、大きく育てるための指導を吉田松陰が担いました。教育の大切さと責任の重さを吉田松陰と松下村塾は教えてくれます。

同時に私は幕末の薩摩藩へも思いを巡らせていました。NHKのドラマ「篤姫」の総集編は篤姫の人となりを表すエピソードが凝縮されていて興味深く観ました。とりわけ第1集では自分で確かめないと気がすまない彼女の姿が実に頼もしく思えました。「おなご」だからこそと見込む薩摩守も懐の深い大きな存在だ。彼らに共通するところは何か。それは、常に現状にとどまっていないということだと思います。そこにあるのは続く変化に反応する自分と絶え間ない思考、そして、迷いと悩みです。的確に反応する力は絶え間ない思考が育てるものと私は思います。だから悩むことを恐れてはならない。姜尚中の『悩む力』はきっとそんなことが書いてあるのでは!?と思っています。NBonline(日経ビジネスオンライン)の「著者に聞く ノウハウ本を捨てよ、悩む力が閉塞を打ち破る 政治学者、姜尚中氏が語る『悩む喜び』の極意」(2008.5.26)という見出し、そして、Keywordが「悩む力 夏目漱石」であることも興味深い。私自身、学生時代にいちばん身近に思い、多く読んだ作家が夏目漱石です。悩むことはしんどいことだが悩むことを恐れてはならないのだ。

大晦日に灯油を買いに出て寄った書店で何気なく手にした本を拾い読みしていて読まずにいられなくなって買った本があります。ゲイリー・ハメル&C・K・プラハラード著、一條和生訳『コア・コンピタンス経営 未来への競争戦略』(日経ビジネス文庫 2001)です。邦訳の初出は1995年ですから14年も前の本ですが、私には新しい。

今年は世界金融恐慌というべき状況で終わり、新年を迎えることになります。アメリカの金融危機、ビッグ・スリー破綻の危機、トヨタの失速から学ぶことは私にとっても大きいものがあると考えています。ジャストサイズ、リスクマネジメント、超長期的展望、フェアネス、等々。そして、今年、何度も考えさせられたことは、市民を軽んじる企業や国家は終焉を迎えるということです。新しい年にはやはり大きな変化を求めてしまいます。オバマ新大統領の登場は私にとっても期待するところが少なくありません。

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仕事納め

仕事納めの今日は雪が舞う寒い一日でした。病院の廊下で子どもたちと出会って「・・先生!」とびっくり。きみたち、お正月はここで? 聞けないけどみんなの健康を願うばかりです。外来の小児科はソファーがゆったりとうまるくらいでした。いつもよりずっと多い。病院の子どもたちは主人公ですね。ガラス1枚でも病院の中は暖かい空間でした。

自宅のWindowsのデスクトップのモニタが映らなくなって新調することになり、今度は19インチワイドの液晶モニタにしてみました。新しいモニタは発色がきれいなだけでなく視認性もいい。標準グレードでも満足度は高い。画面の枠はちょっと珍しいガンメタです。久しぶりに使うのでスペックを見ていたら、なんと、WindowsXPがSP3になっていました。いつの間にバージョンアップしたのだろう。このMacのWindowsXPはSP2のままです。それにしても物入りは続くもの(×_×) 新年早々アテンザの車検です。

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代理ミュンヒハウゼン症候群

今日の夕刊に「娘の点滴に異物混入…母親逮捕」という見出しを見つけて急いで読みました。記事の最後に「親が薬物などを使って子どもを病気にさせる児童虐待の症例は『代理ミュンヒハウゼン症候群』と呼ばれる。」とありました。代理ミュンヒハウゼン症候群(MSBP)はセバスチャン・フィツエック著『治療島』で知りました。とても信じ難い状態と思いましたがネットで検索すると日本でも珍しくない症例です。心理の深い襞を覗き込むような重い気持ちになりました。

先週、精神科医の話を聴く機会があり、エリクソンのライフサイクルについて触れるところがありました。発達はステップを順にクリアすることとされますが、誰もが標準的な発達プロセスをたどるわけではないと考えています。発達の課題のエピソードはひとりひとり異なるはずであり、環境も異なる。標準とされるプロセスは収斂化の結果と考えるべきではないのだろうか。標準を個に押し付けてはならず、それは参照であり、個別の課題の解決のプロセスはそれぞれ異なる。標準と個別性は適切なバランスを保って考えられるべきものです。どちらも大切。

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佐伯祐三と標準レンズの眼差し

2学期が終わりました。入院していた子どもたちも何人かが退院して地元の学校に戻って行きました。病弱の特別支援学校は子どもたちが力をつけて地元の学校に戻って行く支援をすることが第一の役割です。子どもたちの健康をただただ願うばかりです。

昨日、日曜日の朝、NHK-ETVの「日曜美術館」は佐伯祐三の特集でした。この7月に三重県立美術館でまさに対峙したともいうべき佐伯祐三の絵画の強い印象がよみがえってきました。この番組中で驚いたことがありました。写真家の高梨豊が、佐伯祐三が描いたパリを写真に撮って回ったところ、50mmの画角でほとんどの写真が合致したというのです。35mm判で50mmは標準とされていますが、実際に50mmレンズを着けてファインダーでその画角を見ると思いの外狭く感じます。広角でも望遠でもない、中途半端な画角とされがちで標準と名付けられながらほとんどマニアックな扱いを受けてきました。でも、その画角が人間の目の見方にいちばん近いとのことです。私たちは広い視野の中で自分が見たいものに焦点を合わせて他の情報と区別します。物理的な視野と情報処理上の視野とは自ずから異なるわけです。でも、人間は欲張りなのでしょう。1枚の写真の中に広さを求めることがあります。では、佐伯祐三の視野は何だったのか。自然体でパリの街を見つめ、切り取ってカンバスに再構成したということもできるでしょう。自分の目がまっすぐ見つめるものだけをカンバスに描いた。50mmレンズの画角の窮屈さを知っているので佐伯祐三の気迫のエネルギーの凄さに圧倒されるのであろうか。50mmの画角といえば、「ダカフェ日記」がこのところの標準レンズのヒットの立役者です。APSサイズの受光素子だと30mm余という焦点距離のレンズがその画角になります。ちょっと使いにくいけど標準レンズでしか撮れない不思議な安定感の写真が撮れます。佐伯祐三が標準レンズの眼差しでパリの街を切り取ったという説は久々の大発見に思えました。

50mmといえばライカ、またまた危ない本と巡り会ってしまいました。藤田一咲の『ぼくとライカの旅 パリ・ヴェネチア編』(えい出版社 2008)です。カラーフィルムはFUJICHROME PROVIA 100Fで、銀塩しか出し得ない色そのものです。コントラストも然りです。デジタルは便利です。でも、フィルムの持ち味は捨て難い。フィルムカメラは大事にしよう。

今夜は絢香を聴いています。明日はタイヤをスタッドレスに換えて草花の苗を庭に植えましょう。そうそう、明日早朝、特別支援学校の新学習指導要領が文部科学省のホームページにアップされてパブリック・コメントの受け付けが始まります。

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鍵盤ハーモニカの蘊蓄

木曜日はとなりの病院のレストランで昼食を食べました。いつもの日替わりランチは久しぶりのさわらの天ぷらでとてもおいしく、しっかり味わいながらいただきました。レストランの窓からは空き地のような広場と病院の職員住宅が暖かな日差しに包まれて見えました。見ようによっては荒涼とした風景ですがその時は懐かしいシーンとして映りました。その風景を初めて見たのは2001年の年明け早々だったでしょうか。医療的ケアの医学研修で訪れました。その頃はレストランが入った新しい建物もなくて、文字通り荒涼とした空き地が広がっていたという記憶があるばかりです。

自宅近くの大型電気店の中に書店が開店して寄りました。DVDレンタルもしていて本もこの近辺では比較的たくさん揃えています。書店によって目に入る本はちがうもので、今日は『キーボード・マガジン』(リットーミュージック)の2009冬号No.363が気になる本でした。付録のCDに武部聡志のピアノ伴奏の「卒業写真」が収録されていて、これが聴きたくて買いました。歌だけのトラックもあってピアノ伴奏を募集する「歌伴コンテスト2009」という企画です。武部聡志のピアノ伴奏の「卒業写真」は期待通りの演奏でした。音楽的な構造が理に適っていて安定感があり、アレンジもお手本らしいシンプルさにこれもお手本らしく定番と思わせる装飾を施した品のある演奏です。何度聴いてもいい。本の方はビリー・ジョエルや理論、テクニックの特集があってこれもおもしろい。エマーソン・レイク&パーマーの譜面まであって懐かしいやら驚くやらです。1971年のアルバムとか。そのキース・エマーソンはデビュー40周年で、日本公演のステージの写真を見るとモーグが聳えています。なんと懐かしい。

同じく付録に掲載のハモンドのPRO-44Hというスズキの鍵盤ハーモニカにピックアップマイクを内蔵した楽器にはやはり出たかと納得するところがありました。値段は5万円とリーズナブルです。ポップスで鍵盤ハーモニカを使うプレーヤーは少なくないと思います。私は山下達郎の「ON THE STREET CORNER」の確か第1集で聴いたのが最初でした。1980年の初盤のレコードをCDで買い直したのは1986年のリミックス盤です。「教育機器」の鍵盤ハーモニカもこんな使い方があるのかとしきりに感心しました。当時、仕事用にヤマハの鍵盤ハーモニカの最上級モデルP-37を購入して子どもたちの歌にオブリガードを入れるなどして使っていました。その鍵盤ハーモニカのリードは軟らかな印象でした。その後、スズキからプロモデルPRO-37 V2が出たことを知って購入しました。こちらのリードはバンドネオンのような硬質な印象の音で、本体もしっかり作ってあるのか息漏れ感があまりになくて、吹いていると息が吐けなくて苦しくなるほどです。楽器としての上質感は値段相応でスズキの方に軍配が上がるのですが、ちょっとゆるい音質のヤマハはビンテージ感もあって疲れない音です。今はモデルが新しくなっているのでちがう音かも知れません。ライブの「こどもがいっぱいわらっている」のオブリガードも確かヤマハを使いました。その時も鍵盤ハーモニカは音のダイナミクスが狭くて限界を感じましたが、このハモンドのモデルは電気を使って表現の幅も広がるのではないかと想像しています。『キーボード・マガジン』インタビュー記事でモーガン・フィッシャーが鍵盤ハーモニカを吹いている写真があって、マウスピースの形状とボディの色から推してこれはヤマハのP-37シリーズでしょう。

こんなことを書いていると音楽活動をしたくなります。明日は県内のアマチュア・オーケストラがベートーヴェンの第九を演奏します。開演の時刻に仕事が入ってダブルブッキング、「くるみ割り人形」は無理としても第九は聴けるでしょうか。

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Only Love

昨夜、忘年会の会場に流れていた音楽はナナ・ムスクーリの「Only Love」でした。ここはいつもこれから始まる、そう思いながらも何度聴いてもいい歌です。もう20年くらい前のことになるだろうか、愛知県のリトル・ワールドで流れていた曲に聴きほれてしまって曲名をたずねたらナナ・ムスクーリの「糸紡ぎの歌」だったように覚えています。レコードもCDも探したのですが見つかりませんでした。そのときの印象を思い出すと“解決のない音楽”です。糸紡ぎ、それは果てしのない物語のように思います。

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本の「時間感覚を延ばす働き」

今朝の朝日新聞の「子どもの本棚 クリスマス特集」で意を得たりの言葉がありました。「本が子どもに与える力 時間感覚延ばす働き」との小見出しです。「今の子どもを気の毒に思うのは、とても刹那的なこと。今、身に起こっていることしか目に入らなくて、時のつながりの感覚がものすごく短い子が多い。読み継がれてきた本には、その時間の感覚を延ばしてくれる働きがある。」 東京子ども図書館理事長の松岡享子さんのこの言葉は人の脳の働きの最も重要な機能が示されているように思います。時間の流れは誰もコントロールすることができない。でも、人は時の流れにゆらぎがあるように感じる。実感するといってもいい。それは自分の中の時間のことです。自分の中の時間は感じ方によってゆらぎが出る。感じ方は脳内の情報処理の現れであって外界との適応の仕方に大きく影響する。広汎性発達障がい(自閉症スペクトラム)の病態の本質のひとつは記憶と時間との調整力不足ではないかと思うことがあります。「ピクチャー・シンキング」といわれる視覚優位は1枚の絵と他の絵との関連付けの困難の現れではないかということです。1枚の絵と他の絵との連続性や因果関係が結びつくことで情緒の安定が生まれるのではないでしょうか。その結びつきをもたらす最たるものは音楽であり、絵本も同様のものだと考えます。広汎性発達障がいの特徴としてあげられる「想像力の欠如」はこのことを示しているように思います。精神疾患にもこのことを思うことがあります。本を読むことはすごく大切なことだ。

先日、職場で雛人形のエピソードを聞くことがありました。ただ、雛人形というだけのことでしたが、私が思い浮かべたのは雛人形の歯です。実家の雛人形は口を少し開けていて白い歯が2〜3本見えます。私は小さな頃からその歯がとても印象的でした。雛人形を見ると歯が見えているかと確かめてしまいます。それはそれだけのことなのですが、先日、不意をつかれたようにその記憶がよみがえってきました。実家の土蔵に眠っている雛人形に今年は会いに行きましょうか。

Cannondale saeco用にフラットベダルを調達しました。クリップが装着できる小型、どうせなら色付きと思って、bazooka ピストペダルのゴールドにしました。saecoは赤を基調として黄がアクセントとなっています。届いたペダルは文字通りのゴールド=金です。果たしてマッチングはどうなのか。ペダルレンチが届いたら早速交換してみます。

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ミュージック・ケア研修

昨日今日とミュージック・ケア初級総合研修三重会場でした。第208期生は14人とちょうどいい人数です。熱心な学びの姿が頼もしい。さて、いつもながらサポートの私も貴重な勉強の機会です。いつの間にか自分の癖が出て基本から外れてしまっています。まさに「なくて七癖」です。その修正に一生懸命になっていると別人になってしまうかのような錯覚があります。ミュージック・ケアは不思議な音楽療法です。今夜最終回の篤姫ではないが、己の為すべきことは何かと考えてしまう。思えば、ミュージック・ケアとの出会いは文字通り雷に打たれたようでした。アリサシリーズのプログラムで身も心も納得してしまった奈良での研修は時々思い出します。

昨夜は研修会の会場近くのイルミネーションに案内してもらって行ってきました。幹線道路からはずれて山村の田畑が広がる所にこつ然を現れたのは金閣寺やクリスマスツリー等々のイルミネーション群でした。路上駐車の車が列を作って交通整理の人まで出ていました。見物も少なくない。か細い音のクリスマスソングが流れていました。冬の田畑のイルミネーションは地域の人たちが作ったものだとか。それにしてもスケールが大きい。一体何のために、どんな人たちがどんな発想で、そして、その資金はどうやりくりしているのだろうと私は考え込んでしまいました。聞くところ年配の人たちの“作品”とのことです。農業用ハウスの骨組みに付けられたイルミネーションのトンネルをくぐりながら私はしきりに感心してしまいました。人間はおもしろい。今朝の朝日新聞県内版は県内のイルミネーションの特集で昨夜訪れた山村も紹介されていました。

今朝、アテンザで研修会場に向かうときNHK-FMでラフマニノフの自作自演の演奏を聴きました。録音は古いのですがピアノもオーケストラもライブ感がありました。ラフマニノフのピアノは実に堂々としていて迷いが一切ない。作曲者自身の演奏だからそれは当たり前だがこうも断定して弾かれると圧倒されるばかりだ。そして、フィラデルフィア管弦楽団のちょっとハスキーな弦の音が私の琴線をかき乱す。ヨーロッパのオーケストラにはない音だ。ラフマニノフのピアノ協奏曲第3番をホロヴィッツと奏でたニューヨーク・フィルもこんな音を残している。

先週、高校生の短歌を読むことがありました。やはり高校生が書いた小説と詩も少し前に読む機会がありました。荒削りで繊細な言葉に私は惹き込まれてしまいました。このことはまた書く機会があると思います。言葉の力もまた大きい。

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ポコ・ア・ポコの初心

12月の日曜日のポコ・ア・ポコは10家族のみなさまに来ていただきました。寒い中をわざわざお出かけいただいて感謝しています。今日もみなさまのおかげで楽しいひとときとなりました。ほんとに久しぶりに来ていただいたお母さんから帰り際に「今日は久しぶりに時間がゆっくり流れました」と話していただきました。ポコ・ア・ポコはそこに集ったみなさんがしばしの心の居場所を見つけるひとときとしていただくことがなによりです。ポコ・ア・ポコを始めたときの初心を忘れることなく精進してまいります。ところで、今日は、最後の大きなシャボン玉がうまく作れなくて子どもたちを残念がらせてしまいました。ミュージック・ケアのシャボン玉は新しく開けたときは粘性が高くて大きさをコントロールしやすいのですが、使う度に粘性が落ちて大きな玉が作りづらくなってしまいます。品質管理をしっかり行うことの大切さを痛感しました。来週の土日はミュージック・ケア初級総合研修三重会場です。年に一度の学び直しです。来年こそは中級の研修を受けたいと思っています。

ポコ・ア・ポコの道具を片づけてテレビのニュース番組を観ていたら東京都品川区の中学校が特集で紹介されていました。7年前、生徒の暴力などで荒れていた中学校に赴任した校長が生徒を「○○くん」と呼び捨てにしないことから改革を始めて、今では落ち着いたばかりか学力テストでも高成績を出すまでになったとのことです。「学校の力」を信じて地道な教育実践を積み上げた教職員は素晴らしい。「公教育のあるべき姿」とコメントする教育学者の言葉は私にとっても腑に落ちるものでした。この校長の姿勢は経営品質向上の取り組みに他ならない。

今日の午前中は黒潮の太平洋側の南伊勢町に行っていました。晴天の日差しが降り注いでいるのにアテンザの車外温度計は5度以上に上がらない中のドライブでしたが、抜けるような青空に輝く紅葉がとてもきれいでした。朝から何台ものロードレーサーと会いました。昨日は我が家でもGIANT TCRが納車でした。私のCannondale Saeco レプリカフレームは2000年の年末に納車だったのですがフレームはおそらく1999年モデルです。TCRは2009年モデルなので10年の隔たりがあります。TCRのコンポーネンツはSIMANO 105が中心でコストパフォーマンスは抜群に高い。Saecoは1グレード高いSIMANO ULTEGRAでも10年前のモデルです。さて、その差はいかに!? ファーストインプレッションはやはりULTEGRAの勝ちでした。TCRはブレーキセットが1グレード低いTIOGAで、これがTCRの印象を落としています。シューだけでも交換すれば印象はちがうものになるのではないでしょうか。しかし、品質感が決定的にちがうように思います。組み上がると剛性感の差が明らかになります。あと、フレームのキャラクターも大きくちがいます。Cannondaleのフレーム、CAADの過敏ともいえる反応性は乗りにくい印象にもつながりますが、身体がなじむとその一体感はたまらない。

NHK-TVの「だんだん」の音楽にたまらない懐かしさを感じることがあります。「縁の糸」の竹内まりやの声は私を瞬時にタイムスリップさせてしまう。人の声、歌の力はすごいものだとつくづく思う。iTunesで好きな歌のプレイリストを作ってみました。サザン、kiroro、松田聖子、X Japan、ドリカム、絢香、等々、実にさまざまな歌と声です。選曲をしていると夢中になってしまいます。完成はしばらく先のことになります。

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ブラインドと光の色

勤務先の私の机は南向きの窓際にあって日差しが差し込みます。今日のような晴天だと暑いくらいです。ブラインドで日差しを遮るのですが、ブラインドの高さや角度を変えると部屋の光が微妙に変化して趣が大きく変わります。ブラインドを動かさないでいても太陽が動くと部屋の光は変わります。ブラインドを使い始めた頃は日差しを遮るばかりでしたが、この頃は少し木もれ日のように日差しを入れたり、天井に反射する光の色を見て角度を調節したりしています。今日は部屋に戻ると夕日が天井に映っていてなんともいえないやわらかな色でした。ブランドは風に弱かったり音や気温を遮る効果が少なかったりしますが、光を楽しむツールとしてとてもおもしろい。明日はどんな光の色を見せてくれるのだろうと思います。ただ、今週は毎日出張が入っていて部屋にいる時間はわずかです。

UMPCのWindowsXPは瞬時に画面が変わります。Vistaのような待ち時間というか待ち時間という概念そのものがないくらい速い。XPはSP1からSP2にアップしたときに別もののようになったように覚えていますがスピードはあまり変わりませんでした。今回のSP3は世代がちがうくらいの速さに思えます。きっとSP2とSP3は見かけは同じでもプログラムに大きな進歩があるのでしょう。無線LANも評判通りの高感度でIEの表示スピードも相当なものです。IEのバージョンは6で、更新プログラムで7にバージョンアップしましたがスピードは変わらないと思っています。全画面表示にするとわずか8.9インチのモニタも広々と感じます。バーの出入りも実にスムーズです。こうなるとブラウザとメーラーもIEとOEを使うことになるかも知れません。XP3は最速のVistaマシンの異名をとるMacのWindowsより速いかも知れませんが、Macは表示のタイミングやスピードをコントロールしているようにも思えます。感覚的にとてもいい。さて、UMPCはアプリケーションを動かしたらどんなものでしょうか。興味津々、楽しみです。EMOBILEも自宅ですんなりとつながりました。

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