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2008年10月

「篤姫」の音楽、三たび

NHK大河ドラマ「篤姫」のサウンドトラック盤が届きました。第一印象はまさに豊穣な音楽というところです。メインテーマはNHK交響楽団でしょうか。全編アコースティックで通すところが新鮮です。一部、エレキベースが入っていますが、演奏形態だけでなく録音技術の為せる技でもあるのでしょう。「篤姫」の音楽は私の言葉では“解決のない音楽”です。でも、それは高揚感が続く意味での“解決のない音楽”で、聴く者の内なる力の維持増長に寄与するものだと思います。勇気を与えてくれる。このような音楽だからこそ、今、支持されるのでしょう。

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南の風HP開設10周年

この10月22日で南の風のホームページを開設して10周年を迎えました。少し前まで覚えていたのですが慌ただしい日が続いて週末まで気がつきませんでした。10年前、車いすで使う花壇をウェブサイトで紹介したのが始まりで、南の風というネーミングは10年間変わっていません。よく続いたものです。今はポコ・ア・ポコ音楽療法の会からのお知らせが主な役割となっていますが、私の関心テーマについてもコンテンツを充実させていきたいと考えています。あと、ちょっとした自分史になっているので思いがけず助かることがあります。

先週月曜日は午後から熊野に行くことがあって往復280キロのドライブでした。紀州を走る国道42号線はいわゆるワインディングロードで、アテンザ乗りとしては走り甲斐がありました。この道はかつてよく行った喫茶店があって懐かしい。もう20年も前のことです。文部省指定の公開研究発表会が終わった日、その喫茶店に行こうとしたのですが疲れ果てて行き着けなかったことがありました。Uターンした空き地は今もまだ空き地のままで、その日のことが思い出されました。久しぶりの七里御浜はすでに薄暮の中で、白い波が寄せる音が大きく聞こえました。

昨日は県立高校の開校50周年記念行事があって四日市に行っていました。記念式典の高校生の挨拶が青竹を割ったような清々しさがあって胸のすく思いがしました。なんと気持ちのいいスピーチなのだろうと思いました。少し前に高校生の文芸集が届いて短編と詩を読む機会があって、やはり同じ印象がありました。高校生をリアルタイムで生きているからこそ綴ることができる言葉だと思います。

「故郷」のピアノの練習を始めました。思っていた以上に難しくて小1時間夢中になって弾いてしまいました。ピアノを弾くと1週間の疲れがどんどん抜けていくのがわかって不思議でした。腕はウェイトトレーニングをしたかのように筋肉が感じられてこれもおもしろかった。新しいことにチャレンジすると神経系が覚醒します。指や記憶が新しい曲に適応して覚えていくプロセスが他人事のように思われてすごくおもしろい。「故郷」はG durで始まってA durに転調します。なぜか、一度A durに入ってしまうとG durに戻って弾くのがすごく難しくなってしまいます。技術的にではなく感覚的にです。さっきまで弾いていた曲とは思えない。これも不思議です。それにしても2音を押さえたままのトリルは難しい。なにくそ!という感じです。自宅では電子ピアノで練習していて夜は音量を落としています。するとどうしても弾き方が乱暴になって叩き付けるようなタッチになってしまいます。これを直すために頭はフル回転です。大人の練習ですね。

とにかく何かしていないと落ち着かないので、今日の午後は初冬から春にかけてのガーデニングに没頭しました。玄関へのアプローチに置くパンジーのポットやドアの前に置く寄せ植えをいくつか作りました。庭も全体のバランスをあれこれ考えてローズマリーとクリスマスローズを移植しました。あと、ピンクのハナミズキも買ってきたのですが、これはしばらく思案して来週の連休に植える場所を決めましょう。私の勤務校にシェードガーデンがあってこれがすごくいい。自宅の庭も模様替えです。

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「院内学級教師 それが私の夢」

iTuens Storeで東京佼成ウィンドオーケストラの「篤姫 メインテーマ」を見つけました。高校の吹奏楽部で大ヒットという吹奏楽アレンジは厚みのある音で音楽の醍醐味が堪能できます。このような音楽を奏でる経験を高校時代にできるとはなんと素晴らしいことか。

先週から昨日今日と研修が続きました。昨日は“みえ生と死を考える市民の会”主催の松阪市民病院緩和ケア病棟見学会に行ってきました。はじめにレクチャーがありました。「人の命の長さを医療従事者に委ねないでください。哲学、倫理学などのコンセンサスが必要です。」という文脈に人間の尊厳の大きさを思いました。今日は三重県医師会主催の学校医研修会に行ってきました。2本の講座、「子どものメンタルヘルス対応」と「食物アレルギー学校対応マニュアルの解説と今後について」とも、教育と医療との連携の重要さについて触れるものでした。メンタルヘルスもアレルギーも教育現場が日々常時向き合っている課題です。先週は小児がんの子どもたちの支援について医療Drのレクチャーを聴く機会があって、ここでも教育への期待が示されました。病気の子どもたちへの教育的支援のニーズはさらに高まるものと思います。折しも今朝の朝日新聞の「声」欄には「院内学級教師 それが私の夢」と題する16歳の高校生の投書が掲載されました。ニーズとホープに応えなければなりません。(本文の引用はひかえますが今日のタイトルとしました。)

昨日、8年前にオーダーしたキャノンデールのSaecoレプリカのタイヤに空気を入れて自宅前の道を少し走ってみました。デザインも走行感もただただ素晴らしい。ブレーキ、ディレイラーとも胸のすくような操作感でカチッと決まる。さすがにタイヤは劣化の跡が見えるものの7.5のハイプレッシャーにも耐えました。乗ってあげなくてはと思いました。そして、久しぶりにこのバイクを作った自転車店に行きました。数年ぶりでしょうか、店内には高価なロードレーサーが2段の棚に並べてあって隔世の観がありました。お客さんが次々と来店してスタッフは大忙しでした。それもそうでしょう。地方都市でこの品揃えはちょっとない。経営者のビジョンの確かさが伝わる繁盛ぶりでした。Saecoのタイヤとチューブの新調と思いましたがお目当ての黄色のラインのタイヤが1本しかなくてまた今度となりました。

さて、「故郷」と「パッヘルベルのカノン」です。そうそう合わせる機会もなく本番となるかも知れません。なんとスリリングなことだろう。私も乱視を理由に乱れ弾きになるかも知れません。それでも楽しみです。

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アフガニスタンの菜の花畑

東京JAZZを観始めるとついつい夜更かしをしてしまいます。せっかくの連休も睡眠不足で朝となりましたが、この3連休は外回りの草取りや垣根の剪定と決めてあったので体力の配分を考えて連休を有効に使いました。大きくなり過ぎて4mはあろうかというゴールドクレストを伐採したり、垣根の根元を埋め尽くしたヘデラを根こそぎ取ろうと奮闘したりで、すっかりさっぱりという景観になりました。白樫に付いたイラガの幼虫はオルトランで駆除です。ガーデニングを一からやり直すような作業となりました。初冬にかけて苗木と種を調達したいと思います。目指すはシェードガーデンですがどこまでできるでしょうか。

新聞を資源ゴミとして出そうとまとめていて、ストッカーのいちばん下から出した8月30日朝日新聞夕刊にアフガニスタンで殺害されたNGO「ペシャワール会」所属の伊藤和也さんの記事が目に留まりました。一面の菜の花畑の笑顔の少女の写真です。庶民の暮らしを同じ目線で支援すること、これはできそうでなかなかできない。だからこそ国家レベルでこうした支援を行うべきだと私はよく考えます。

夕方、園芸店に行きました。麦と菜の花の種を買いました。

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ノーベル賞

今回のノーベル賞を4人の日本人が受賞して否が応でもモチベーションが上がります。対象となった成果が理論物理と化学という基礎研究であることも痛快といえるでしょう。成果がすぐに数値で表せない分野での快挙は金融不安の中では一層価値あるものに思えてならない。学術成果を数値で評価する視点も大事だが感性でねらいを定めるスタンスも欠かせない。画期的な発見や創造は気づきから生まれるものだと思う。受賞者のキャラクターも魅力的です。自由闊達の精神を大切にしたいものだ。

名古屋大学次期学長に選ばれた浜口道成氏について中日新聞のコラムはこう伝える。「効率性ばかりを強調する風潮には危機感をもつ。『伝統や文化、宇宙の本質の解明など、長いスパンで見守る分野も重要。二面性を守って支援したい』」大学の長として実に頼もしい限りだ。教育は文字通り人を育み育てること。時間も手間ひまもかかる。大切な投資だ。

来月の熊本出張の準備を始めました。宮崎出張では飛行機の欠航に参ってしまって今回は鉄道を使います。朝5時発で午後の会議に滑り込みセーフです。JR西日本の500系を期待しましたが時刻上これは無理でした。3日間会議漬けで“座長”も務めるのでその準備も気合いが入ります。

先週、東京JAZZの放送が5夜連続でありました。録画を少しずつ観ています。リシャール・ガリアーノ&ザ・タンガリア・カルテットと寺井尚子のセッションがとても新鮮でした。ボタン式のアコーディオンとウッドベース、パーカッションとヴァイオリンです。音楽的な要素としてはジャズというよりタンゴかと思いますが、リシャール・ガリアーノ自身はまさにアヴァンギャルドでスリリングな演奏です。ヴァイオリニストの欠員で急遽加わった寺井尚子も実力十分で聴き応えも十分、堪能しました。

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10月の日曜日のポコ・ア・ポコ

昨日は地元の療育サークルのムーブメントのお手伝いに行ってきました。今回は地元の大学生がボランティアで来ていました。初めての人が多かったのですが、その場、空間の1点への集中力がたいへん高まることがありました。パネルシアターでそれを感じてよく見ると、学生のみなさんが目を丸くして時には口元を緩めながら子どもたち以上に見入っています。これでは子どもたちも自ずと集中してしまうわけです。この姿勢、子どもたちといっしょに自分も楽しむ姿勢はいつまでも持ち続けてほしいものと思いました。

今日は10月の日曜日のポコ・ア・ポコで、12家族のみなさんに来ていただきました。雨がいつ降ってきてもおかしくない灰白色の雲の下、初秋のひんやりとした空気で、窓の外の景色は白っぽく見えました。今日のセッションはリピーターのみなさんということもあって文脈をきちんともちながらそれぞれの楽しみ方で臨んでいただいていました。おだやかな気持ちでご参加いただけることが何よりです。遠方からのご参加もあり、感謝感謝です。

ポコ・ア・ポコが始まるまでのBGMはずっと私のシンセサイザーの打ち込みを使ってきましたが、今日、初めて神崎ゆう子の「きゅん」を流しました。これはすてきでした。次回までに「きゅん」と「ふわり」から選曲をすることにします。

学生の頃、メシアンの「世の終わりのための四重奏曲」をFMのエアチェックで聴いてしばらく没頭していた時がありました。ヴァイオリンがベルリンフィルのコンサートマスターとかでその響きの凄さに圧倒されました。電気を通してなお伝わる響きの凄さです。その演奏がわからなくて今回はピーター・ゼルキンの演奏をチョイスしました。Tashi(タッシ)です。ピーター・ゼルキンのファッション、プッレッピーをそのまま音にしたような、知的ですが学術的ではないカジュアルな斬新さがある演奏です。今では懐かしさが先走るかような印象がありますが、これは私の学生の頃の自分とオーバーラップして同時代感覚があります。いつの「同時代」か、それは聴くときで変わってきます。

昨夜、映画「ピアノの森」を早送りしながら観ました。コンクールのシーンは何度観てもいいものです。

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一ノ瀬海のように

火曜日に参列した告別式の前後にSalyuのCDアルバム「TERMINAL」から「to U」が静かに流れていました。思いがけない選曲でした。今夜は「to U」をあらためて聴きました。TBS「筑紫哲也NEWS23」のテーマ曲だとか。「TERMINAL」というネーミングは「末期」とも読めます。だから? このネーミングはさておき、いい曲です。忘れられない1曲となってしまいました。

ターミナル期の音楽療法は音楽療法ではないのではないかと思うことがあります。もっともっと音楽と真っ白な心でふれていたいと思うのです。この日曜日は10月の日曜日のポコ・ア・ポコです。音楽と 謙虚に 真摯に いたいと思います。映画「ピアノの森」の海のように。

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ヴィオラ

昼前から日差しが部屋に入り始めてほどなく高い青空が広がりました。台風はどこに行ったのだろうと思っていたら温帯低気圧になってしまったとのことでした。それにしても日差しの部屋のなんと奥まで差し込むようになったことか。芝もブランコも秋の日差しに金色の輪郭が輝いてとてもきれいでした。

今日届けられた楽譜は「パッヘルベルのカノン」とヘ長調の「故郷」です。「故郷」はト長調からヘ長調への変更で、「赤とんぼ」はやらないかもしれないとか。

弦楽アンサンブルではよくヴィオラが見つからなくて困ることがあります。そのことで私もヴィオラを借りて「アイネ・クライネ・ナハト・ムジーク」を弾いたことがありました。ヴァイオリンから持ち替えて弾けるのかどうかですがなんとか弾けるものだと思いました。いちばん困ったことはヴィオラの譜面のアルト記号モードから落ちることです。落ちたら頭の中が真っ白になってしばらく戻れません。視覚情報の処理を一定のモードでキープすることに集中するには文字通りヴィオラの中音域を果敢に弾き鳴らすのみです。でも、これはけっこうおもしろいものでした。ヴィオラは懐の深い楽器で多少荒っぽい弾き方をしても一定の枠内で納めてくれるのです。弦楽アンサンブルならヴィオラをまた弾いてもいいと思います。

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