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命にまつわるエピソード3話

「子育て川柳」の入賞作品を伝えるNHK-TVのニュースをみていて関係発達の典型的なエピソードと出会いました。大賞は「私でも ママになれたよ ありがとう」です。面白可笑しい作品はたくさんあったことだと思いますが、この一句を大賞とした選者たちのセンスに脱帽です。インタビューで作者のお母さんは「私をママと呼んでくれて、ママになったんだと思いました」というようなコメントでした。子どもから「ママ」と呼ばれて自分が「ママ」になったことを実感することは関係発達の最たるエピソードです。子どもを産んだだけで「ママ」になったのではなく、子育ての日々の中で子どもから「ママ」と呼ばれ慕われて、「育てー育てられ」という相互の関係の中で「ママ」は「ママ」になっていく。太古から受け継がれて来たこの当たり前の営みを素直に詠んだ一句が大賞に選ばれるのは、でも、今日の危機へのアンチテーゼかも知れません。

これもNHK-TVのニュースです。多臓器移植のために渡米中のそうたろうくんの近況を伝える特集で、渡米前のそうたろうくんが闘病中に漢字検定にチャレンジする姿に私の目は釘付けになりました。そうたろうくんは8歳、小学校2年生のこの2月、漢字検定5級に合格しました。5級というと小学校6年修了相当です。ベッドで漢字を勉強するそうたろうくんの目は真剣そのもので、彼にとって漢字検定は何なのだろうと思いました。そうたろうくんにとっての漢字検定の“機能”です。病院内の教室(学校)で学ぶ子どもたちは、ときとして、どうしてそんなに一生懸命勉強するの?とたずねてみたくなるときがあります。私は仕事柄学問体系を学習する意味は十分わかっているつもりですが、そうたろうくんのように命をかけて病気と闘っている子どもたちがそこまでして勉強をする理由は何なのだろうとあらためて自問してしまうことがあります。学びは外界を構造化して認知させ、自分と外界との係わりを明らかにして定位感と自己肯定感につなげる。病院で治療を続ける子どもたちの姿は学びの意味を私たちに目に見えるものとして教えてくれます。

今日の中日新聞朝刊の書籍のページで取り上げられている『家庭のような病院を』(佐藤伸彦 文藝春秋 2008)の記事はナラティブがキーワードでした。この本はナラティブホームの構想の中心となった医師の著作とのことです。「・・・ナラティブアルバム制作である。あるいは医師がカルテに、患者との会話や患者の独り言を記録するナラティブシート作り。こうした作業によって、それまで異なる世界にいた患者に個々の物語が付与され、患者と家族と医療関係者との間に共通の理解の場が生まれる。」 個人の尊厳を守ろうとする医師の良心が伝わる書評です。「人は言葉をあびて成長する」(荒川)だけでなく、人は言葉を紡いで命を全うするのだと思う。

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