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2008年4月

草取り

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久しぶりに庭の草取りをしました。猫の額ほどの庭なので小一時間で終わりますがそれがなかなかできません。体力もそれなりに戻ってきたので草刈機も使っての作業です。草に埋まってチューリップはひょろ長く延びているし、スィートピーは草にからんで抜かれてしまうしで散々なガーデニングです。草に負けずにしっかり自分のペースで咲いていたのはクリサンセマムで、これはもう見事です。フェンネルやクリスマスローズ、チャイブもしっかりしていました。クレソンが小さくなっていたのは意外でした。写真はもっと狭い玄関先のポットのクリムソンクローバー・ストロベリートーチです。Canon EOS Kiss DX+SIGMA 50mm F2.8 DCMACRO

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カミュの言葉

木曜日の学校経営品質講演会で県外の校長先生の話を聴きました。「迷ったときには困難な道を選ぶ」「数字は読み込む、付かず離れず」「行動で表す、形で見せる」などいくつか腑に落ちる言葉がありましたが、何よりも彼が情熱家であり、ロマンチストであることに共感しました。校長は心に響く言葉で夢を語る人でなければならないとあらためて思いました。

テレビ番組でアルベール・カミュの言葉が取り上げられていました。「物事に名前を付けることは世界に秩序を与えることである」というような言葉です。これも腑に落ちる言葉です。新しい言葉を知って初めて物事の意味がわかるときがあります。目の前の事象の価値を価値たらしめるのもまた言葉だ。言葉は世界を構造化する。カミュは多く読んだわけではありませんが、学生のときに読んだ『シーシュポスの神話』は今も時々思い出します。閉塞感がある今だからこそ哲学の存在感が光ります。

電気炊飯器の調子が悪くなって買い替えることにしたのですが、売り場に並ぶ炊飯器からどう選んでいいのかわからず、ずるずると延びてしまっていました。押さえどころはIHかと思って調達しました。今夜、初めて使いましたがいまひとつでした。やはり炊飯モードや水の調整をしないとおいしいご飯は炊けない。あと、今夜は久しぶりにヒレカツを作って料理を堪能しました。用心してちょっと火を通し過ぎましたが…

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医療的ケアの文脈

ポコ・ア・ポコの会場の窓からは水を張った田んぼを渡る風が入ってきました。おだやかでなんとやわらかなこと! 新年度4月の日曜日のポコ・ア・ポコは10家族のみなさんに来ていただきました。久しぶりのお子さんはぐんと成長していてこれもうれしいことです。初めてのお子さんはみんなのようすを見ながら指先を小さく合わせて動かせていてこれもうれしいこと。今日初めてできたことをうれしそうに私に伝えてくれるお母さんの笑顔も素敵です。文字通りポコ・ア・ポコ、少しずつです。来月はどんな場面が繰り広げられることでしょう。

今日は朝から国立三重病院の研修室に行くことがありました。そこは7年前に医療的ケアの医学研修を受講した部屋です。新しい三重病院の建築前で、荒れ地に職員住宅と思しき2階建ての建物がぽつんと建つ印象的な光景が広がっていました。当時、医療的ケアは国の枠組みが示されず、三重県でも手探りで可能性を探っていました。医療的ケアは日常的応急的手当てという別名があります。重度心身障がいの子どもたちと同じ空間にいようとするとき、医療的ケアは必要であり、関係性を高める営みです。その黎明期にいた私たちは知らず知らずパイオニアたるべく歩んでいました。当時の現場の息づかいを伝える文言が三重県教育委員会が定める医療的バックアップ体制実施要綱にあります。「・・・教職員のきめ細かで慎重なチームワークのもと、自信と誇りをもって実施することに務める。」執筆者は定かでないとされるものの、このセンテンスは重度心身障がいの子どもたちの教育に携わる三重県の教育界の気概を伝えています。素晴らしい文言ですが、でも、この言葉の意味の重さを教えてくれたのは子どもたちとともに過ごした日々でした。謙虚を旨としながらも教育者の「自信と誇り」が子どもたちの育ちを支えることを広く理解していただきたい。

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五感を研ぎ澄ます

昼はパスタを作りました。茹でて出来合いのソースをかけるだけなのですが、茹でることが難しくて毎回ちがう食感になってしまいます。今日はいつもとちがうパスタを使ったのでますます迷走してしまった次第です。それにしてもほんとに久しぶりのパスタです。料理は五感を目覚めさせてくれます。

年度末に四日市で買ったスーツを今日やっと受け取りに行ってきました。3年間通勤した四日市なのに遠く感じました。3年間12万キロ、よく走りました。それだけにアテンザには慣れた道です。生き生きと走ってくれました。燃費は落ちますがエンジンの高回転域のサウンドが聞きたくて引っ張ってしまいます。年を重ねるにつれてハイパワーのスポーツカーに乗りたくなります。五感、身体で乗る感覚がたまらなくいい。二輪もいい。

時間を見つけて読んでいる本は『物語としてのケア〜ナラティヴ・アプローチの世界へ』(野口裕二 医学書院 2002)です。「急がば回れ」の諺通り、いつものように遠回りです。哲学がないところに実体は生まれない。「言葉」「語り」「物語」が織りなす営みこそ「詩と真実」と思える。心に響く言葉こそ人を動かす。『文藝春秋』5月号の特集は「脳力革命」です。脳を生物学的に解明していくとますます心の核心に迫るようで興味は尽きません。「ケアリング」がキーワードの今の私のワークは次に読むべき本として『学校におけるケアの挑戦〜もう一つの教育を求めて』(ネル・ノディングズ 佐藤学監訳 ゆみる出版 2007)を指名しています。この本の見返しに佐藤学さんのサインをいただきました。「しなやかに たおやかに」と言葉を添えて。五感を研ぎ澄ませて思考することを自分に言い聞かせる。京都市立堀川高校の川瀬校長のように学校の空間を漂う時間の大切さがわかります。

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青い麦の穂

昨日は朝から地元のムーブメントの療育サークルでピアノを弾いてきました。ピアノを弾くのは1か月に1回、このムーブメントだけになってしまいましたが、ピアノを弾くと身体がめざめる感覚になります。

今朝の新聞の本の広告で何冊か気になる本がありました。『教師の語りと新教育「児童の村」の1920年』(浅井幸子 2008 東京大学出版会)です。児童の村はネットで情報も多いのですが、ナラティヴを重ねると情報も限られてきます。ナラティブという言葉で児童の村について記述したものは少ないようですが、今、教育や保育の現場で起きていることを伝え記録するためにナラティブという考え方を用いることは増えています。質的評価ということも。昨今、教育が量的評価で云々されることが多く、質的評価、つまり、現場にいる者の言葉で語られること(ナラティブ)が軽視されていることに私は教育や保育を取り巻く状況を危惧するものがあります。教育や保育は言葉を幾様にも重ね、言葉を尽くして行われてるものと私は考えています。その場にいる子どもと家族、先生が思いの丈を語り、智恵を出し合い、擦り合わせて進めていくのが教育ではないでしょうか。こうした隠された教育課程(ヒドゥン・カリキュラム)があってこそ子どもたちは学習を進めることができるのだ。

スーパーの直売コーナーで麦の穂を買いました。午前中に行ったのに大きなバケツはほとんど空で、青い麦の穂の人気のほどがわかるというものです。真っ直ぐ立つ麦の穂先と実の白いふくらみ、明るい緑色の茎や葉がこの季節を先頭に立って初夏へと引っ張ってくれているかのようです。この穂が金色に輝くのは2か月後です。麦秋もいいけど青い穂の初々しさが胸のすく思いを誘う。

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クジラと入学式

昨日は知的障がいの教育部門を設置する特別支援学校の入学式に行ってきました。ステージのクジラの大きなデコレーションが目に飛び込んでずっと気になっていました。目が妙にリアルでピンクのアイシャドーがくっきり! マスカラも!? 入学式はとてもにぎやかでなごやかなひとときでした。知的障がいの子どもたちは価値観の多様さを教えてくれます。クジラがこのことを教えてくれているかのようでした。

今年度の出張は行き先も回数もこれまでにないものとなりますが、病弱の教育部門の充実のために成果を上げなくてはなりません。リソースとの積極的なコラボレーションで新たなフェーズを開くことが求められています。前例はないものと思ってこの状況に反応する自分のインスピレーションが命綱です。明日からの土日は自分自身の“素地”作りの時間となるように過ごしたい。

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新学期

昨日、勤務校で始業式と入学式が執り行われました。大学病院にある訪問教育部では病室で入学式を行いました。学校は子どもの姿がないと何も始められないと、新学期のたびにそう思います。

病気の子どもたちが学ぶことの意味、それは、非日常の構造化された学問体系に触れることで生きることの喜びを見出すことです。病院の狭い教室、小さな学習机、小さな教科書だけど、その向こうに広がる世界は無限であることをいつも意識して学習空間を確保することが学校の先生の使命です。

家で時間を見つけてはポコ・ア・ポコのご案内の葉書をプリントしていて、やっと宛名までプリントが終わったのですが、会場の都合で7月に変更がありました。急遽プリントし直したのですが、まちがってレーザープリンタ用の葉書を買ってしまって、これがポコ・ア・ポコの淡い水色が出ないのです。またプリントし直すとなると発送が遅れるのでこのまま投函となることが無念です。

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桜、桜、桜

桜が満開になりました。この春は桜の花がいつになくきれいに見えます。私がいちばん好きな花は桜の花かも知れないと思うようになってきています。桜の花の魅力はその淡い色だと思います。このことが視覚に訴える情報発信というヒントも教えてくれます。ちょっと情緒に欠ける発想ですが…

昨夜は2つの歓送迎会に出ました。私の新しい勤務校を去るみなさんの挨拶はひとつの空間で時間とともに刻んだあゆみと文脈がつまっていて引き込まれてしまいました。今、目の前の現象だけで物事について云々することはできない。そこには必ず意味がある。文脈をイメージしないと明日は描けない。

やっとスタッドレスから夏タイヤに換えました。走り出すとボディが不規則に揺れたのでガソリンスタンドに寄って空気圧を調整しました。挙動は安定しましたが、ちょっと高めに設定しても45とは思えないアバウトな走りはアテンザが泣くというもの。この次はガチガチのタイヤにしようと思うのだ。

今日はランボルギーニ・ムルシェラゴの後につくことがあって、その官能的なスタイルとエクゾーストサウンドをしばし楽しませてくれました。団地への上り坂はほどよいワインディング・ロードで、白のムルシェラゴのドライバーはスピードを上げていました。その気持ち、わかる。スポーツカーの血統は過敏とさえ思える反応性です。車と対話をしながら走るドライバーは走る車の姿からわかります。

今夜聴いた音楽は、NHK-FMの中継ライブ、中村紘子が弾くラフマニノフのピアノ協奏曲第2番と山中千尋の「アビス」です。ラフマニノフは夕日に向かって走るアテンザのBOSEで聴いて、これはもう、酔いしれる感覚でした。山中千尋のアルバムはピアノ・トリオで、これも惹き込まれる緊張感を堪能しました。

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異動

残務整理に追われていた年度末の3月31日の夜9時過ぎに知人からメールが届きました。私の異動をテレビのニュースで知ったとのことでした。まさかテレビで流れるとは思ってもみなかったので驚きました。3年間勤務した特別支援学校の最後の日でした。3年前の異動では最後の日に音楽室のピアノを弾く時間もありましたが今回は引き継ぎの準備をいくらしても終わらないように思えました。

翌4月1日は津市の特別支援学校に着任しました。桜や春の花がたくさん咲いて、ビオトープやシェードガーデンが私にケアリングという言葉を想い起こさせてくれました。夜になると隣りの三重病院のタングステンライトの温かい光にしばし足を止めて見入ってしまいます。私はその空間に反応する自分を探そうと懸命になっています。でも、今、その空間に足りない絶対的な存在、それは子どもたちです。子どもたちとの出会いが何よりの楽しみです。

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