1月の日曜日のポコ・ア・ポコ

1月の日曜日のポコ・ア・ポコは8家族のみなさまに来ていただきました。1か月に1回のセッションなので子どもたちの成長にはハッとさせられることがあります。体がぐんと大きくなった子、しっかり待てるようになった子、そして、お母さんもゆったりと過ごされるようすをたいへんうれしく思っています。今日はそんなシーンがいくつもありました。最後に大きなシャボン玉がゆっくりと落ちてくるようすを身じろぎもせずにしっかり見届けることができた子どもたちの成長ぶりに、何かいいことがありそうな新年を予感させられる思いがしました。

「アデルの恋の物語」の小道具たち

「アデルの恋の物語」は1976年に日本封切りですからもう35年も前の映画で、イザベル・アジャーニがブレイクしたフランソワ・トリュフォー監督の作品です。当時、学生のとき京都で観た映画の中でもっとも印象的な作品のひとつです。物語も然ることながらアデルが書店で紙を買うときに出す大きな硬貨が鮮明に記憶に残っています。年末、30年余ぶりにDVDで観た「アデルの恋の物語」でもその硬貨の大きさとカウンターに置かれるときの大きな音を確かめることができました。そして、今回はアデルの茶色の革の手袋が目につきました。この映画は他にも小道具がいろいろと印象的です。アデルが束で買い求める紙はペン先から出る荒々しい音でその生地の粗さを伝える。そうして書き綴った筆記体の美しさは物語の深淵のほどを想起させ、登場人物たちが身につける衣服はそれぞれの“正装”で確固たる意志を表す。物語はアデルが精神を病んでいく姿を追い、美しい字も衣服も次第に乱れていきます。この映画のメッセージは今となっては釈然としないところがあるものの、イザベル・アジャーニの熱演と効果的な小道具の使い方などが映画という媒体の表現構造に観る人を惹き込むのだと思います。

“正装”といえば映画「アンタッチャブル」も私が注目する作品です。エリオット・ネス役のケビン・コスナーもマローン役のショーン・コネリーもまるで着こなしのお手本のような映画です。ケビン・コスナーはスーツとトレンチコート、ショーン・コネリーはツィードのジャケットが決まり過ぎだ。そして、当時としては当たり前の帽子が実にかっこいい。これも年末にDVDを買い求めて“復習”をしました。この映画はエンニオ・モリコーネの音楽も素晴らしい。こちらは1987年封切り。

新年あけましておめでとうございます

新年あけましておめでとうございます。本年もポコ・ア・ポコ共々よろしくお願いいたします。

新年早々カラオケで坂本冬美バージョンの「また君に恋している」を聴いてビリー・バンバンが聴きたくなりました。ビリー・バンバンは私よりもひと回り上の世代で私が小学生の頃のデビューです。iTunes Storeでは「また君に恋してる」「君の詩」「白いブランコ」の順に人気があるとのこと。歌詞は二の次で音楽を聴いてしまう私にとってビリー・バンバンの歌はなぜか歌詞を聴き込んでしまいます。訳ありの歌、そう思わせる歌い方が実に巧みだ。そんな体験がなくても自分のことのように思い出してしまうような心もちになってしまう。ビートルズにも学生運動にも遅れて生まれた世代、それが長い間私の中でしこりのようになっていました。そのせいか音楽も少し前の世代の音楽を聴き込んでしまうときがあります。

年末年始の休暇はパソコンのメンテナンスの時間ですがMacBook ProのHDD換装を10月にすませてしまったのでちょっと気の抜けたところがあります。それでも大須界隈は足の向くまま半日歩きました。Macを使いながらもWindowsが気になるのは自作のおもしろさを知っているからだと思います。タワーのIBMとDellはいくつかのパーツを入れ替えたり増設したりして勉強になりました。もう十数年前のことです。「自作パソコンは必要だから作られるのではなく、作りたいから作られる」とは「詩と真実」です。どうせならモンスターのようなマシンを作りたいもの。部屋の隅にあくまでも静かに佇んでブルーのあやしい光がゆらめく高性能マシンがいい。そうなるとOSはWindowsでもMacでもLinuxでも何でもいいと思う。そう思った今日の大須でした。

数日前までウェーベルンを聴いていたのに今夜はベートーベンを聴くという変わり身の不可思議さ。アバドが振る「英雄」はスピード感がたまらない。

iPhone4S etc

2か月待ってiPhone4Sが来ました。iPhone3GSの設定やデータをMacにバックアップしてiPhone4Sに移行しました。2年4か月使った3GSは故障もなく使用上のストレスもなかったのですが32GBの容量がほとんどなくなっていたのでiPhone4Sの64GBは頼もしい限りです。また、モニタは驚くほど精緻で反応も速い。マットブラック塗装のハードケースに入れるとGOLLAのケースから不意に滑り落ちることもなくホールド感もなかなかのもの。モニタ面は3GSと同様に保護シートを貼らずに精緻でスムーズな見え方と反応に直に触れるようにしています。こうしたインターフェースやデザインは本来の物理的な性能以上に大切だとつくづく思う。呼び出し音は引き続いてアメリカのテレビドラマ「24 CTU」のインターコムです。「ピピッ・パッ・ポー」という音は心持ちを引き締める。

先週末に自宅のテレビをやっと薄型に買い替えました。店頭では付加機能を比べながらも最後は画面のきれいさで決めました。ほどよいシャープネスとコントラスト、華やかながらも疲れない程度の色彩。画面の設定で調整できるもののハードの“もって生まれた資質”は根本的に変わらないと思っています。ハードの仕上げのチューニングはメーカーの哲学です。私のチョイスは銀塩フィルムでいうと富士フィルムのプロビアだと思い当たって、プロビアの設定が腑に落ちた次第です。写真フィルムメーカーのノウハウは実は相当なものと思っています。結果、29インチのブラウン管から40インチの液晶になりました。画面は細部までくっきりと映し出して発色もよく、映像の造り込みの意図までもが伝わってくる。観ていて考えることが多くなった。しかし、録画しても観る時間がない(>_<)

学生の頃、NHK-FMの「現代音楽の時間」のテーマ曲はウェーベルン編曲のバッハ「音楽の贈り物」で印象的でした。先日、その曲が無性に聴きたくなって探したのがブーレーズ指揮の「コンプリート・ウェーベルン」でした。いっしょに買い求めたアンドレアス・シュタイヤーの古楽も緻密な音楽です。隅々まで整った静謐な音楽は時間の流れの速さまで変えてしまいそうに思う。

12月の日曜日のポコ・ア・ポコと冬支度

12月の日曜日のポコ・ア・ポコは9家族のみなさまに来ていただきました。子どもたちひとりひとりの表情やしぐさ、お父さんお母さんのまなざしのメッセージが瞬時にいくつも行き交うひとときでした。セッションの中で自分の居場所をきちんと見つけることができる場の文脈の提供がミュージック・ケアの真髄です。先輩のお母さんから子育てのヒントを学ぶ場面もあって、ご参加のみなさまのご理解に感謝しています。

急に寒くなって雪マークが天気予報に登場、これはたいへんと、昨日、タイヤをスタッドレスに交換しました。インプレッサのスタッドレスタイヤは10月に用意したもので、やっと出番というところです。インセットの調整に3mmのスぺーサーを入れてガソリンスタンドで空気圧を調整して終了。ついでに久しぶりに洗車もしました。パール系ホワイトは汚れが固着しにくいのか、ずいぶんきれいになりました。それだけ汚れていたとも言えますが、今回は禁断のコンパウンドを部分的に使いました。濡らしたウエスに少量のコンパウンドを含ませて必要最小限に擦るのがポイントだと思う。念入りに洗車をした後はやはり走行感がちがう!? 冬支度を終えて、さあ、どこかにドライブという時間がないのが残念です。

冬支度もまた味わい深いものがあって、北へ向かう心もちになります。それは、暖かく、温かいもの、手の込んだもの、ずっと大切にしたいもの、追い求めたくなるもの、身近なところでの再発見につながる営みでしょうか。これはクリスマスや正月が冬にある北半球の感覚かも知れません。もっと寒くなれ、と思う。

今夜の「ソロモン流」は押切もえでした。太宰治を読み、絵を描き、ダンスを習い、ワインのスペシャリストのライセンスを取得する多彩な時間の積み重ねがモデルの実力の幅を広げ、魅力を深める。どのシーンも雄弁な瞬間足り得る映像の理由がそこにあるのでしょう。「ポジティブは大事」「すごく、前、ネガティブだったから、私の人生何だったのだろうと思って、この考えがダメだと思って、全部前向きに取ろうとおもって」と語る。彼女も努力する才ゆえの今日の姿なのだ。

THE CELTIC CIRCLE

今日は三重ミュージック・ケア研究会の研修会でした。25人のみなさまのご参加をいただきました。午後は会場の三重県いなば園の入所のみなさまとのいっしょのセッションで実践そのものを学んでいただけたものと思っています。志のあるみなさまの今後のご活躍を期待しています。

会場との往復ではインプレッサのナビのHDDに「THE CELTIC CIRCLE」の2枚を録音しました。このCDは数年前にワゴンセールで偶然見つけたもので、音楽は中身が濃くてそうそう聴けたものではありませんでした。ところがこの秋から冬にかけて急に身近に感じられるようになってきていました。きっかけはLady Gagaの音楽で、ケルトの音楽もその原型のひとつとなっているように思います。チャイコフスキーも北への指向を感じさせ、ケルト音楽もやはり北の荒涼とした風景を思い起こさせる“重さ”があるように思います。ブロンテ姉妹の『ジェーン・エア』や『嵐が丘』が未だ知らない北の地の荒涼とした風景を印象づけるのと似ている。インプレッサで聴くと水平4気筒の動感と不思議にマッチしてディープなドライブです

11月の日曜日のポコ・ア・ポコ

11月の日曜日のポコ・ア・ポコは8家族のみなさまのご参加をいただきました。いつもご参加いただくみなさまで、しっかりとプログラムを追って“安定”したセッションながらも毎回の新鮮さがありました。1か月に1回のセッションですが、子どもたちどうしの社会性の築きもできていきます。最後の大きなシャボン玉を見つめあうときもあれば今日のように誰かが割ってしまうこともありますが、それをすっと許せるようになってきています。次はきっと見つめあうことと・・・おっと、それはそのときにならないとわからない。そのときの関係性から生まれるものです。

先々週、気温が下がり始めたので裏地付のスーツを着たらその重いことに驚きました。こんなに重かっただろうかと。歳のせいかも知れないと思いましたが2~3日で慣れてきました。コートも着始めてすっかり冬の装いです。冬はいろんな服を着ることができてちょっとうれしい季節です。

音楽の力

朝、朝刊のテレビ番組欄から録画したい番組を探してリモコンのBSボタンを押すと画面がNHKプレミアムの「クラシック倶楽部」に切り替わってその音楽、音に圧倒されることがしばしばあります。その瞬間、別世界に連れて行かれたようで手が止まってしまう。そんな中、先日のジェームズ・ゴールウェイはとりわけ圧倒的な放送でした。こちらは録画しました。ゴールウェイのフルートは彼の音であり、文字通りよどみなく湧き出る泉のような音楽です。先日の放送は9月に来日したときのコンサートで、モスグリーンに銀のペイズリー柄のジャケットが際立っておしゃれで、1939年生まれの72歳とは思えないヴィヴィッドな演奏、そして立ち回りでした。どんな楽曲も彼が演奏するとジェームズ・ゴールウェイの音楽と化してしまう。その音楽は楽曲の魅力を100%表すもので、普遍的なスタンダードとして聴こえてきます。聴く者にとってはいろんなことのあるべき姿や方向に気づかされる音楽といえるでしょうか。

3・11後、芸術家など表現者が創作や表現の場で発してきたメッセージはポジティヴなものであり、そこから生きる力を感得した人は多いと思っています。

そのメッセージは楽曲のほんの一部を聴いただけでも伝わるものです。話はいきなり松田聖子に飛ぶのですが、先日のNHKの「SONGS」で放送されたデビューからの映像で彼女の歌を聴いてやはり同じことを考えました。また、AKB48も3・11後のプロデュースで「がんばれニッポン」のメッセンジャーという役目が加わり、被災地訪問を重ねたりすることで歌などの表現も変わってきたものがあるのではないでしょうか。

靴、足、歩くということ

明日からの1週間に備えて靴を磨くと心構えまでシェイプアップされるようで、困ったことに眠気が遠ざかるように思えます。今日から新しい靴クリームを使い出したので塗りやすくて底革のサイドも色がよく着きます。私が持っている革靴は1足をのぞいて同じメーカーでトラッドとよばれるデザインのみです。それでもまだまだバリエーションがあって目移りしてしまいます。

いい靴は歩き方を矯正するのかも知れないと気づいたのは先日のこと。新しい革靴を履いたところ右外側のくるぶしが当たって痛みがあって、これは足に合わないのかと思って歩き方を工夫していたら歩き方が変わってきて痛みも前ほど感じなくなってきました。そういえば私が履く革靴の甲の部分は曲がり方が左右異なるのです。革のせいと思っていましたが同じ曲がり方が続くと自分の足のせいかと思えてくるわけで、これはリハビリに他ならない。

「モオツァルトは歩き方の達人であった」と書いたのは小林秀雄で、高校1年の実力テストでこの冒頭を目にした私は雷に打たれたような衝撃を覚えました。それからしばらくして、なぜかモーツァルトの鼻が気になって仕方がないというおかしなことを考えるようになりました。モーツァルトは自分の意志で歩いているのか、はたまた、鼻に引っ張られて歩いているのかということが気になって仕方がないのです。言い換えれば、自分の身体を自分で御し得ているかということです。もっと言えば、自分の中で湧き出る音楽を楽譜に落とし得ているかということ。芸術家が芸術家足り得る所以はそうしたパッションを自分のものにできるかどうかという際どさを自分のものにしているかどうかという才なのだろう。そのことを確かめるひとつの手段が歩くということなのだろうと思う。

足は自分の体重のすべてを支える部位であるということは地球の重力とうまく付き合っていく役目を担っているということ。感覚統合の根幹だと言える。しっかり歩いていきたいと思う。

今日はどこかからアンドレ・ギャニオンの「めぐり逢い」がかすかに聴こえてきて足を止めました。冬間近と思いました。

東京行

週末は東京と横浜に行ってきました。土曜日は朝から用があったので前日の出発としましたが、仕事が終わったのは午後11時過ぎでした。そんなこともあろうかとインプレッサで行くことにしていました。鈴鹿と四日市を回って川越インターから湾岸道に乗ったのは12時半でした。ほとんど休みなく走って走って横浜のホテル着が朝5時。シャワーと身支度だけしてすぐホテルを出るというタイトなことになってしまいました。24時間フロントが開いているホテルで助かりました。

東京ではちょうど大学祭たけなわで駅に近いところに寄ってみました。目白駅の駅中、線路の真上の焼きたてのパン屋さんに入っていつも感じる東京がそこにあることで眠気も疲れもどこかに飛んでいってしまいました。簡素な造りの店ですが清潔感があり、何よりもスタッフの応対がとても心地よい。マロンデニッシュとコーヒーといっしょに店の空間全部の賞味となった次第。目白界隈は大学の街。おじさんたちも紳士然としていていつしかマンウオッチングとなりました。私にとって東京に行く意味はこんなところにもあるのです。おしゃれはほんとに大事だと思う。

帰り道は横須賀に寄り道をして11年ぶりに国立特別支援教育総合研究所に行きました。私がここで学んだのは11年前の初夏から夏にかけてのことでした。ある意味で私の人生を大きく変えた2か月でした。今日は休日で人気はなく、マラソンや自転車でよく行った三浦半島を回りました。でも、それはなつかしさよりも、もっとしっかり見たかったのにその時は時間がなかったのでまた訪れたいということだったと、今日、気づきました。葉山や逗子、材木座海岸など、まるで文化圏がちがうような光景は時間をかけてしっかり回りたいと、やっぱり今日も時間がなくておあずけとなりました。

今回の東京行で聴き続けたのはLady Gagaでした。インプレッサの前のオーナーの音楽データがHDDに残っていて私はLady Gagaを知って、車なのでそれなりの大音量で聴くことができて、そして驚きました。25曲のどれもが聴き応えがあって何回聴いても発見がある緻密な音楽です。Lady Gagaは徒者ではないと思って調べるとニューヨーク大学で音楽を勉強しているとのこと。その音楽は音楽史の集大成とも思える音があるように思う。構造もまた然り。しばらく聴き続けることになるでしょう。

ところで、インプレッサは出発前日に空気圧を0.1ずつ上げたらこれが大失敗で、まるで振動が収束しないバネの上に乗っているかのようにフワフワでした。しかし、調整する時間もないまま高速に入ったのでたまらず最初のSAでガソリンスタンドに飛び込みました。調整後はこれまでの安定した挙動に戻ってほっとしました。わずか0.1気圧でこんなにも印象が変化する車は初めてです。メーカーの指定は前輪2.3、後輪2.2で、なんとなく高めの指定だとは感じてはいたものの、それは文字通り適性そのものだったわけです。私のインプレッサは1.5LのATで起伏のある高速道路では非力を感じますが、走りそのものはたいへんしっかりしていてSTIを仕立てんがためのベースであることがよくわかります。その素性のよさを最大限引き出す空気圧だったわけです。今日は1日で500km走りましたが疲れない車です。

«

2012年1月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        

リンク

無料ブログはココログ
ITmediaFX iPadアプリ