もうひとつの“ポコ・ア・ポコ”

大雪で屋根が壊れた倉庫を整理していたら小学校で音楽専科だったときの「音楽だより」1年分をまとめたファイルが雨で濡れて捨てざるを得ませんでした。無念の思いがありましたが仕方ありません。でも、複数部残していたはずだと本棚を探したらありました。1994年度、平成6年度のものですから24年前です。毎週末に翌週の学習予定や音楽の話、子どもたちの感想などを載せました。全37号で音楽の授業が全て終わった後の号外「卒業式の歌」特集がひとつあります。若気の至りで書いたところもたくさんあって読み返すのはなかなか勇気が要るので本棚に立てたままになっていました。10年ぶりか20年ぶりかわかりませんが読み返してみると、今書いてもきっと同じことを書くだろうなと思いました。新鮮に感じるところもありました。こんなものを毎週4年生から6年生の9クラスに配布していたのかと思うと恥ずかしくなりましたがあらための気づきもありました。「自分がどう感じるかということを大切にして音楽をきいたり歌ったりしてほしい」というメッセージは今も変わりません。今は障害がある子どもたちの教育に携わるとき大切にしてほしいこととして機会ある度にお話ししています。この頃から同じことを考えていたわけです。この「音楽だより」の名前が「ポコ・ア・ポコ」なのでこの記事のこの見出しです。

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日本在宅医学会をふり返って

先月末の日本在宅医学会は情報の質、量ともたいへん充実していて抄録やメモを読み返しては在宅医療の現在に思いを巡らせています。シンポジウム「居場所づくりが地域を豊かにする~こども食堂や保健室~」の終了間際にフロアからあった発言(質問)は今後目指すべき社会のあり様を示唆しているように思いました。「人の支援を目的化しない」つまり、コミュニティを構成する人たちが自分たちの「身の丈」に合ったコミュニティの機能を見つけ構築していけるように仕掛けを作っていくことの大切さです。この学会は文字通り在宅の患者を見守る医師の会で子どもたちも然り。病気や医療的ケアの子ども、障害があったりがん経験者や緩和医療を受けていたりする子どもたちです。特別支援教育の専門性とも深くリンクする内容でした。がん教育を行うに当たって小児がん経験者や家族にがんの人がいる子どものサポートにつながる具体的な取り組みの報告もありました。また、六車由実さんの「「対話」によるつながりの「回復」ー介護民俗学の聞き書きの実践からー」と森川すいめいさんの「オープンダイアローグ(開かれた対話)なぜ対話だけで精神病状が安定するのか?」は玉手箱が目の前で開けられているように思われて深く心に刻まれました。丸々2日間学会を聴き続けて、聴くということでこんなにも疲れたことはないというほどのエネルギーを使いました。でも、この先の私の活動や取り組みのベクトルをしっかり見定めるまたとない機会となったことは確かです。

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未知の世界、再び

昨日は大阪心斎橋界隈で過ごしました。いちばんの収穫は古書店でアーレント=ブリュッヒャー夫妻の書簡集と出会ったことです。もちろん購入しました。500ページ超の同書はすぐに読み通せるものではありませんが開いたページの一文を目にしたその瞬時に「未知の世界」がほんとにたくさんあって決してなくならないことを突きつけられたように感じました。その古書店は全国展開のサブカル系のショップでアニメやフィギュア、コスプレ等々のグッズが所狭しと並んでいる中に哲学書が置かれていました。なぜかシュタイナーの本がたくさん揃っていました。そうした偏りもまた面白くて本棚に張り付きました。未知のこと、知らない世界はほんとにたくさんあることを思い知らされました。そして、自分から動かないと決して出会わなかったであろうことも。

アップルストアではiPad pro 10.5のキーボードを調達しました。USキーボードです。4月からノートPCはWindows10をインストールしたMacBook Airを使っていてタブレットも思い切ってiPadに切り替えました。Apple Pencilで思いつくまま書き留めるときの感覚がすごくいい。だらだらと、途切れなく、ときには思い出して、少し遡ってまた書き留める、それが感覚というより生理的にしっくりするものがあることをタッチペンを使って初めて知りました。面白いものです。

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映画「ローズの秘密の頁」

ゴールデンウイーク初日の映画館は観客もちらほらといった程度でしたが作品は濃密な充実感がありました。「ローズの秘密の頁」のような精神のうつろいをこまやかに描いた映画はいつでも観ることができるものではない。こちらも心の準備が要ります。今回、ネットでこの映画のことを知ってそこはかとなく予感していたものがそのままあって、また、私自身、心の底から堪能することができました。脳の再起動にエネルギーを与えてくれたように思います。音楽ではピアノの音の響きが豊かできれいでした。わざとそんな調律をしているのだろうかと勘ぐりたくなるような平均律のうねりと余韻がありました。自分の感じ方でいちばん驚いたのは最後の歌でした。「ことばのとおり歌っている」と思いました。ことばとは言語そのもののことです。そのことばが普段話されているとおりの歌です。こんなふうに歌われる日本語や日本の歌ってあるのだろうかと思いました。

明日明後日は日本在宅医学会です。介護民俗学の六車由実さん、自殺希少地域の本を書かれた森川すいめいさん、オープンダイアローグやユマニチュード等々が一堂に会することを知ったときは自分の目を疑いました。しっかり勉強してこようと思います。

昨夜、iPad pro 10.5inchとアップルペンシルが届きました。学会のメモツールにとの目論見です。実際に自分のものとして手にすると思いの外大きく、また、ツールとしての奥深さを感じています。カバーを付けると一回り大きく重く、オレはただ者ではないぞ!と突っぱねられているようです。アップルペンシルも然り。明日明後日の学会でメモツールとして使いたかったのですが思いの外敷居は高そうです。

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経済学の誘惑

今年1月早々に放送されたNHKのBS1スペシャル「欲望の資本主義2018~闇の力が目覚める時~」の4月1日の再放送を録画して観たところ目が覚めるように腑に落ちるものがありました。見応えがありました。社会のあり様をこんなふうに考えたことが全くなかったわけではありませんが、今回、私の中で何がつながったのか考えてしまいました。直接的には弱いロボットを研究している岡田美智男先生の著書やこちらの記事との関連です。その記事「高性能=正義とは限らない~「弱いロボット」が教えてくれる、人の心を動かすモノづくり【連載:匠たちの視点・岡田美智男】」の中の「機能は個体の「中」に備わっているという先入観」という言葉は日常生活のいくつかの場面で形を変えながらも当てはまるように思います。個人の努力、成長、発達に重きをおく考え方です。個人の次は家族、親族です。新自由主義が前面にあるといわれる現在、この先は何をか言わんやです。この番組の特別編「欲望の経済史~ルールが変わる時~」も然りです。

この番組を観て、昨年度末までのしばらくの間、ものごとを考える時間がどんどん少なくなって考えるという習慣すら疎遠となっていたように気づきました。今、脳が再起動をしているようです。それにしても経済を切り口としたこうした思索は興味深いものだ。

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未知の世界

昨日、退職辞令をいただき、今夜午前0時をもって37年間の教員生活が終わります。私は過去を一人称的に懐かしむことはあまりしないので今日も明日からのことばかりを考えていました。30年度は大学の教員養成課程と特別支援学校の初任者指導で非常勤講師の仕事をしながら自分自身も大学院で学び、音楽療法や病弱教育を軸とした特別支援教育関係の活動をしていきます。これまでとちがうのは自分のスピード感で物事を進めることができそうなところです。それが何につながるのか、未知の世界の扉を開けるような気分です。

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「弱さの力」

今朝のNHK「おはよう日本」の特集のひとつは「小児医療の現場にロボットを」「小学校で活躍!分身ロボット」でした。「OriHime」の活用のようすが見たかったのですが前段の弱いロボットに興味がそそられました。愛知県立あいち小児保健医療総合センターの「弱いロボット」と子どもたちとのやりとりのシーンは見入ってしまいました。そのロボットを開発したのは豊橋技術科学大学の岡田美智男教授です。「自分でゴミを拾えないゴミ箱ロボット」は笑えますが笑えない気づきがあります。キーワードは「弱さの力」です。こちらの記事「高性能=正義とは限らない~「弱いロボット」が教えてくれる、人の心を動かすモノづくり【連載:匠たちの視点・岡田美智男】」が詳しいと思います。

今日は寒さが和らぐ一日でした。薄手のジャケットで出勤したものの午後からの出張ではベストを脱いで一層身軽になりました。風はないのに春の空気がそこにあるような心地がしました。この時期はほんとに春が来るのかどうかわからないように思うことがあります。年度末は年末とはひと味もふた味もちがう節目です。

「春よ来い」は相馬御風作詞、広田龍太郎作曲の「童謡」です。この歌は童謡なのか、いや、歌曲ではないのか、神崎ゆう子が歌う「童謡きゅん」でこの歌を聴いてからそんなことを考えたりします。このアルバムの編曲は船山基紀で「春よ来い」はアコースティックギターのアンサンブルです。神崎ゆう子の自然で伸びやかな歌と作り込まれた伴奏はもはや童謡ではなく新しい音楽に聴こえます。

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身体、ということ

年末に書いた記事の身体(からだ)の乖離が気になっていて、すると身体という言葉ばかりが目に飛び込んできます。この週末に佐伯胖先生の著書が話題になることがあって、そういえば佐伯先生も身体について触れた記述があったと思い出してブックマークから探しました。「アートとの出会い ~ 『学校化された知』からの解放~」という文章です。ここでは「身体技法」という言葉がキーワードです。身体の乖離についてどう扱われているのか。考えないことを学んでしまうということからやはり乖離があると見ていいでしょう。身体技法として学んでしまっている。そこでアートとの出会いについて考察が始まる。この中で「根源的能動性」は同時に「根源的受動性」でもあることの説明には詩人キーツの「ネガティブ・ケイパビリティ」が登場する。そして、私がここしばらくこれも気になっていた言葉、appreciationも登場する。私のアンテナにひとつずつ引っかかっていた言葉たちが関連性をもってそこに勢揃いしたかのような観があって私は感無量の思いになりました。前回の記事を書いた12月31日大晦日の日から2週間、やっと光が見えてきました。でも、大事なことは今後に活かすということです。

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大晦日のラジオ

知人が通勤ドライブでNHKラジオ第1を聴いていると知って私も聴くようになりました。ステップワゴンのAVナビはテレビがアナログ当時のものでラジオかCDを聴くしかなくて一時は更新も考えましたがそれはちょっとおもしろくないと思ってのAMラジオ回帰となりました。今日は実家への往復でAI関連の番組をたいへん興味深く聴きました。

「AIにできないこと、ないのは人間力である。」「AIの発達で脳は変わる。脳は可塑性がある。しかし、身体は追いつけない。今後、脳と身体は乖離が進むであろう。身体は狩猟農耕時代から大きく変わってはいない。」

次期学習指導要領のポイントを示すポンチ絵の「育成を目指す資質・能力の三つの柱」で三角形の図のいちばん上にあるのは「学びに向かう力/人間性等」です。人間性を教育でどうやって育成するのか。人間性の育成を学習指導要領で示し得るものなのか。私は疑問に思っていますが、今日、前述の放送を聴いていたとき、AIを巡る様々な想定の中からの発想ではないかと考えました。学習指導要領は10年に1回の改訂です。これからの10年はこれまでの何十年とはちがうスピードと局面をもって変化していくのではないか。想定できない変化がきっとあるはずと誰もが考えるような状況ではないか。半分苦し紛れかもしれませんが、これまでもそうだったように、でも、これからはさらに大切になってくること、それは人間力しかないという検討のプロセスがあったのではないかと考えます。人間性という言葉はちょっと楽観的過ぎるように思います。今日の番組で聴いた人間力という言葉はその文脈からしてリアリティがあり、私の腑に落ちるものでした。

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マフラー

今日は年末の大掃除が一段落した夕刻にショッピングモールに出かけて雑貨店でいろいろ見入ってしまいました。とりわけイギリス製とフランス製のマフラーとショールのデザインや質感に惹かれました。デザインはシンプルで深みのある色と相まって何かしらの原型をイメージさせます。肌触りも野性味のある優しさがあります。文化のちがいといってしまえばそれまでのことなのでしょうが、このところ“日本製”のマフラーばかり注目してきたのでとりわけイギリス製の素朴で深みのある質感は魅力的です。

この冬、私がふわっと纏うマフラーに惹かれるきっかけとなったのは映画「秘密の花園」のメアリーの大きなえんじ色のニットの帽子です。“気が強くてわがままでかわいげがなくてまわりからからかわれている“メアリーですが、芯のあるまなざしと鋭い洞察力で局面を変えていく姿は私には魅力的です。よく見るとあまり似合っていそうにない大きなニットの帽子ですが、これも彼女の群れないindependentな姿勢を描くうえで一役を担っているように思います。

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«「名刺がない」という夢