未知の世界

昨日、退職辞令をいただき、今夜午前0時をもって37年間の教員生活が終わります。私は過去を一人称的に懐かしむことはあまりしないので今日も明日からのことばかりを考えていました。30年度は大学の教員養成課程と特別支援学校の初任者指導で非常勤講師の仕事をしながら自分自身も大学院で学び、音楽療法や病弱教育を軸とした特別支援教育関係の活動をしていきます。これまでとちがうのは自分のスピード感で物事を進めることができそうなところです。それが何につながるのか、未知の世界の扉を開けるような気分です。

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「弱さの力」

今朝のNHK「おはよう日本」の特集のひとつは「小児医療の現場にロボットを」「小学校で活躍!分身ロボット」でした。「OriHime」の活用のようすが見たかったのですが前段の弱いロボットに興味がそそられました。愛知県立あいち小児保健医療総合センターの「弱いロボット」と子どもたちとのやりとりのシーンは見入ってしまいました。そのロボットを開発したのは豊橋技術科学大学の岡田美智男教授です。「自分でゴミを拾えないゴミ箱ロボット」は笑えますが笑えない気づきがあります。キーワードは「弱さの力」です。こちらの記事「高性能=正義とは限らない~「弱いロボット」が教えてくれる、人の心を動かすモノづくり【連載:匠たちの視点・岡田美智男】」が詳しいと思います。

今日は寒さが和らぐ一日でした。薄手のジャケットで出勤したものの午後からの出張ではベストを脱いで一層身軽になりました。風はないのに春の空気がそこにあるような心地がしました。この時期はほんとに春が来るのかどうかわからないように思うことがあります。年度末は年末とはひと味もふた味もちがう節目です。

「春よ来い」は相馬御風作詞、広田龍太郎作曲の「童謡」です。この歌は童謡なのか、いや、歌曲ではないのか、神崎ゆう子が歌う「童謡きゅん」でこの歌を聴いてからそんなことを考えたりします。このアルバムの編曲は船山基紀で「春よ来い」はアコースティックギターのアンサンブルです。神崎ゆう子の自然で伸びやかな歌と作り込まれた伴奏はもはや童謡ではなく新しい音楽に聴こえます。

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身体、ということ

年末に書いた記事の身体(からだ)の乖離が気になっていて、すると身体という言葉ばかりが目に飛び込んできます。この週末に佐伯胖先生の著書が話題になることがあって、そういえば佐伯先生も身体について触れた記述があったと思い出してブックマークから探しました。「アートとの出会い ~ 『学校化された知』からの解放~」という文章です。ここでは「身体技法」という言葉がキーワードです。身体の乖離についてどう扱われているのか。考えないことを学んでしまうということからやはり乖離があると見ていいでしょう。身体技法として学んでしまっている。そこでアートとの出会いについて考察が始まる。この中で「根源的能動性」は同時に「根源的受動性」でもあることの説明には詩人キーツの「ネガティブ・ケイパビリティ」が登場する。そして、私がここしばらくこれも気になっていた言葉、appreciationも登場する。私のアンテナにひとつずつ引っかかっていた言葉たちが関連性をもってそこに勢揃いしたかのような観があって私は感無量の思いになりました。前回の記事を書いた12月31日大晦日の日から2週間、やっと光が見えてきました。でも、大事なことは今後に活かすということです。

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大晦日のラジオ

知人が通勤ドライブでNHKラジオ第1を聴いていると知って私も聴くようになりました。ステップワゴンのAVナビはテレビがアナログ当時のものでラジオかCDを聴くしかなくて一時は更新も考えましたがそれはちょっとおもしろくないと思ってのAMラジオ回帰となりました。今日は実家への往復でAI関連の番組をたいへん興味深く聴きました。

「AIにできないこと、ないのは人間力である。」「AIの発達で脳は変わる。脳は可塑性がある。しかし、身体は追いつけない。今後、脳と身体は乖離が進むであろう。身体は狩猟農耕時代から大きく変わってはいない。」

次期学習指導要領のポイントを示すポンチ絵の「育成を目指す資質・能力の三つの柱」で三角形の図のいちばん上にあるのは「学びに向かう力/人間性等」です。人間性を教育でどうやって育成するのか。人間性の育成を学習指導要領で示し得るものなのか。私は疑問に思っていますが、今日、前述の放送を聴いていたとき、AIを巡る様々な想定の中からの発想ではないかと考えました。学習指導要領は10年に1回の改訂です。これからの10年はこれまでの何十年とはちがうスピードと局面をもって変化していくのではないか。想定できない変化がきっとあるはずと誰もが考えるような状況ではないか。半分苦し紛れかもしれませんが、これまでもそうだったように、でも、これからはさらに大切になってくること、それは人間力しかないという検討のプロセスがあったのではないかと考えます。人間性という言葉はちょっと楽観的過ぎるように思います。今日の番組で聴いた人間力という言葉はその文脈からしてリアリティがあり、私の腑に落ちるものでした。

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マフラー

今日は年末の大掃除が一段落した夕刻にショッピングモールに出かけて雑貨店でいろいろ見入ってしまいました。とりわけイギリス製とフランス製のマフラーとショールのデザインや質感に惹かれました。デザインはシンプルで深みのある色と相まって何かしらの原型をイメージさせます。肌触りも野性味のある優しさがあります。文化のちがいといってしまえばそれまでのことなのでしょうが、このところ“日本製”のマフラーばかり注目してきたのでとりわけイギリス製の素朴で深みのある質感は魅力的です。

この冬、私がふわっと纏うマフラーに惹かれるきっかけとなったのは映画「秘密の花園」のメアリーの大きなえんじ色のニットの帽子です。“気が強くてわがままでかわいげがなくてまわりからからかわれている“メアリーですが、芯のあるまなざしと鋭い洞察力で局面を変えていく姿は私には魅力的です。よく見るとあまり似合っていそうにない大きなニットの帽子ですが、これも彼女の群れないindependentな姿勢を描くうえで一役を担っているように思います。

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「名刺がない」という夢

昨夜はこれまでも幾度か見てきた不思議な夢をまた見ました。名刺を渡すシーンがあって名刺入れを探すのですが自分の名刺が1枚もないという夢です。何かの依頼であるお宅を訪ねるのですが、やはり名刺がなくて、仕方なく来年度から使いたいと試し刷りをした名刺を渡すことにしたというストーリーでした。これまでとちがうのは来年度から使いたいと試し刷りをした名刺を持っていたことです。フリーランスを想定したものです。これはまんざら夢物語というわけではなく、朧気ながら考えていたことです。でも、夢の中の名刺は表面は地が濃い青緑で縦型のデザインだったことは全くイメージになかったことでした。さて、どうするか・・・

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「美しい意味」と物語

ここしばらく手触りや音、色、匂いといったモノの感じ方を意識してしまうことが続いています。映画の小道具のモノの色や音に至っては思い出して手触りまで想像することがあります。そもそものきっかけは2週間前の日曜日、奈良で食べたラーメンの味の感じ方です。特別に美味しかったというわけではなく、味を発見したという感覚でした。「こんな味だったのか!」と。以来、鞄や手帳の革の感触や匂い、ファイロファックスのシステム手帳の少しざらついたリフィル、ブルーの明暗の濃淡が絶妙なパイロットの色雫シリーズの朝顔、映画「アンタッチャブル」でケビン・コスナーが革の鞄から取り出すマニラフォルダのしなやかな質感、等々、素敵なモノはたくさんあることを再発見しています。そして、その一つ一つの物語を考えます。今ある姿に至るまでにかかわった人たちに思いを馳せてしまいます。全てに意味がある。「あなたの周囲の世界には、こんなに美しい意味があるということを伝えたい。」とは自閉症の人たちへのエリック・ショプラーの言葉です。(20170727)

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谷崎潤一郎原作「秘密」を聴く

今朝、出勤する車の中でNHKラジオ第1で谷崎潤一郎の「秘密」を聴いて思わず深く惹かれました。寺で隠遁生活をするうちに女装して出歩き、女と逢瀬を繰り返す、等々、どうころんでも縁がなさそうな物語の展開ですが、そういう世界を垣間見たいという衝動もまたあることがわかります。文学が文学たる所以は人の詩と真実を描くところにあると考えます。それが目を背けたくなるような内容であっても人が人である以上、否定することなどできない。どす黒い淵なるものも人が人たる所以だと思う。「秘密」を文字で読むと私には耽美的などとは思えないのですが、今日のラジオ文芸館では怪しくも美しく私の耳に届きました。

一昨日は仕事の帰りに地元のスタバで閉店前までThinkPadのモニタとにらめっこをしていました。8人掛けの大きなテーブルが私のお気に入りです。ここなら何時間でも仕事・・・ができそうです。その日は来年の仕事の準備でシラバスに頭をひねっていました。説明書に沿っての記述ですが、全体を見ると何かの取説のように思われて仕方がありません。「知」とはこんなものではない。コンテンツで質を高めたいと思っています。

昨日は勤務校の2学期の終業式でした。本校と分校、病院内教室と病室、大学病院内教室と病室で計7回の終業式を執り行いました。年末年始を病院で過ごす子どもも少なくありません。新しい年が子どもたちにとってよい一年となることを心から願っています。

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冬の装い

今日明日と下関です。気象情報で雪マークがあったので何を着て行こうかと前夜になってから取っ替え引っ替えしていました。今年は何を着ても暖かくないように思うからです。毎日、本校と分校との間、徒歩5分足らずですが、どのコートを着て行っても寒くてマフラーも巻くようになりました。そして、昨夜気づいたのは、今年はダウンをまだ出していなかったということです。ダウンを着ると部屋では暑いくらいの効果があって即決でした。ダウンといっても山用ではないのでほどほどの保温効果です。この冬は“動きの少ないアウトドア活動用のジャケット“(バードウォッチング用等々)が必要になるかもしれません。寒い冬はおしゃれの幅が広がります。

下関には京都経由で来ました。京都は薄日で風はなく、おだやかな大気の下にありました。新下関で降り立ったときはすでに暗く、冷たい雨が降っていました。筑波で机を並べた友人たちと年に1度の“同窓会”です。

先週末は町内一斉清掃でした。風はありませんでしたが薄曇りで冷えました。その冷たい空気と落ち葉の香りの中での作業は心地よいものでした。私は冬場の外作業でいつも着ている裏がボアのハーフサイズのフィールドコートにジーンズ、ティンバーランドのミッドブーツという格好で、いつもとちがう心持ちで少しばかりわくわくしていました。ファッションではなく作業第一の出で立ちですが、日常から解放されたような気分でした。年末年始に時間があったら近くの雑木林を歩きたいと思っています。

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時間について考える

先週末、カズオ・イシグロ原作の映画「日の名残り」を観たくなってDVDの再生をしたとたん、冒頭からその深い色合いに引き込まれてしまいました。その日はまたNHKで「カズオ・イシグロを探して」の再放送がありました。2011年放送の番組で私も観ましたがほとんど忘れてしまっていました。今あらためて観ると大切なメッセージがぎっしり詰まっていてこちらにも引き込まれてしまいました。それはさておき、ふと、この6年間に私は何をしてきたのだろうと考えてしまいました。

彼は5年に1作のペースで小説を発表しているとのことです。5年をかけて1つの作品を書く。もちろん、1つの作品に構想から出版まで10年以上かけることもあるので単に5年をかけてということではありません。このペースは、しかし、英語圏ゆえに可能といえるでしょうか。英語で書かれた作品はそのまま英語圏の国や地域、英語を解する大勢の人々に翻訳せずに提供が可能となり、著作権料もそれなりとなって5年という執筆期間も可能となるというわけです。この点で日本語は不利となります。日本語で書く作家は薄利多作を強いられているといっても過言ではないでしょう。

5年という年月を長いと考えるか、短いと考えるか。ここ10年、1年毎の結果を追って仕事をしてきたので5年という年月は未知の世界ですが、それだけに次の5年、10年は未知の世界に飛び込むことになるので新年度を待ち遠しく思っています。

日頃、なんとなく合う合わないと感じるとき、その対象が人のとき、その人と自分がいるそれぞれの時間の流れやそのスピードが違うのではないかと考えてしまいます。時間の伸び縮みは人が感じる以上、現実にあるのではないかと思います。だから何がどうということではなく、自分の時間の感じ方でその人らしさが具現化されると考えます。自分らしさは自分の時間の感じ方を獲得したとき自分のものとなる。そう思います。このことについてはもっと精緻な論理構築が必要ですが、それこそその時間が今はありません。

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